2013年12月11日水曜日

声楽作品鑑賞にはどの程度の語学力が必要なのか?

昔、スメタナのオペラを「ボヘミアのブランデンブルク人」以外の全作品を
集中して聴いたことがあって、いろいろ面白いところがあったので
話をしたら、「チェコ語は難解だからなあ」と返されたことがあります。

彼はオペラ(というより声楽作品全般)を原語で理解しようとする人で、
西欧主要国と、あとはせいぜいロシアで限界だ、と言っていました。
対訳に頼り切りの私にとってちょっとはっとさせられることでした。

私はせいぜい英語くらいしかわからないので英国作品で考えてみました。
パーセルの作品は古語ではありますが、きれいな言葉だなあ、とは感じます。
ただ、歌だとよく聞き取れないのでどちらにせよ歌詞は見ながら聴いているのですが。
それでも、直接的に脳に入ってくる感覚はたしかに対訳とは違うな、とは感じます。

その一方で、対訳を見なければわからないとはいえ、ロシアオペラ独特の
バスの魅力は言語を超えているような気がします。
あの独特のバス歌手がロシア語で歌うだけでなにか陶然としてしまいます。
まあ、そういう部分もあるからこそ、西洋ではマイナーなロシア語オペラも
結構人気だったりするのかもしれませんね。
ロシア語を直接理解できる人ばかりではないと思います。

いや、英語の前に私はネイティヴ日本語話者ではないですか。
邦楽で考えてみました。

邦楽といってもいろいろあるので、それぞれに違うのが面白いなと思いました。
たとえば、同じ室町時代の言葉を使っている能楽と狂言。
能楽は正直字幕が欲しいと思う時があるのですが、
狂言はそのまま笑えますよね。何が違うのだろうと考えると、
同じ室町時代の言葉でも、文語と口語の違いじゃないかな、と。

源氏物語の原文での読書はあまりにも難解すぎて放擲してしまったのですが、
平家物語は最低限の脚注があれば結構スムーズに原文で読めます。
これは時代の違いというより、書き言葉と話し言葉の違いの方が大きいような気がします。
平家物語は琵琶法師が弾き語りをするもので、聞いてわからないと話にならないのです。
だから、比較的平易な言葉を選んで作られているのかもしれません。
それでですね、平曲などをきくと、原文で十分理解できるので、
やっぱり眼前に場面が見えてくるような迫力があるのです。

江戸時代の浄瑠璃などもやはり話し言葉に近いのか、
比較的わかりやすくはあります。まあ最低限の予習は必要ですが。
そして面白いのが、同じ江戸時代が中心だった地歌の歌詞です。
地歌というのはかなり包括的なジャンルであるので、
わかりやすい歌詞のものもあれば、もはや言葉遊びに近い難解なものまであります。
地歌には作曲家がいただけでなく、専門の作詞家も存在していました。
西洋で言えばサロンのようなものだったんだと思います。
類語、縁語、古典からの引用、とにかく難解で、初めて聞いてわかるというのは
かなりの知識人だと思います。

歌詞もそうなんですが、音楽自体も地歌はちょっと特殊です。
ほかのジャンルに比べて宮音移動(移調)の頻度が高い。
つまり複雑なんです。
その上、旧作のごく一部の引用などをしてなにかをほのめかしたりします。
これは和歌の本歌取りのようなものですね。
とにかく、知っていることが前提というところがあるんです。

なんで地歌がこんなに特殊なのかというと、
やはり閉じた環境の中での音楽だったからだと思います。
作曲家もいわば職業作曲家兼演奏家でしたし、
前述のとおり、たいていは歌詞も専門の作詞家が作っていた。
聴衆はというと、これもまた仲間の作曲家、演奏家や、
家柄のよい家庭などだったりします。
こういう閉じた環境で新古今和歌集的な技巧の追及が行われたのではないかと。

思えば、能楽も、猿楽から能楽になった時に、歌詞が難解になったのではないかとも思えます。
能楽は武士の式楽ですから、やはり知識階級が相手ということもあるのでしょう。

で、地歌や能楽がつまらないかというと、そうではないですよね。
聴いて直接的に理解できるようになるまで予習する方もいますし、
まあそのほうが面白いことは確かなのですが。
これは上述のロシアオペラの魅力の源泉のようなことかもしれません。
たとえば地歌は上方が中心地であったため、旋律に上方言葉の影響が
かなり強いとされています。
大阪の作曲家の作品と、京都の作曲家の作品では、
やはり全然違うんですよ。
声楽作品ならでは、ということなのかもしれないですが、
純粋器楽部分まではっきりと違うので面白いんです。
当時から大阪と京都ははっきり違う風土だったんですね。
そんなところだけでも面白かったりするわけです。

声楽作品の鑑賞においてどの程度の語学力が必要かというのは結構複雑です。

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