このブログで、事あるごとに書いてきましたが、
ヴェルディやワーグナーはともかく、
ロッシーニに関しては、過去のどんな名歌手よりも、
現代のスペシャリストの方が断然いいです。
最近「セミラーミデ」の2つの演奏で再確認したので書いてみます。
「セミラーミデ」はロッシーニのイタリア時代最後の大作にして傑作です。
非常な難曲でもあり、復活させたといわれ、「歴史的名盤」 とも言われる
サザーランドとマリリン・ホーンのコンビ、ボニング指揮のDECCA盤で、
私は最初に聴きました。
廉価版ですが、対訳もついていて、お得だと思ったからです。
ですが、ああ、なんと浅はかだったことか!
この盤は問題だらけです。ですからリンクも貼りません。
まず、女性2人、サザーランドとマリリン・ホーンは、
なんとか装飾音形もこなしていますが、それだけなんです。
それ以上のことはなにもできていない。
劇性も愉悦もありません。
でも、男声陣はもっと悲惨です。
概してロッシーニのテノールは難しく、
それゆえに現代ではいわゆる「ロッシーニ・テノール」という
専門歌手がいるわけですが、
この録音当時、1966年でそれは望むべくもなかったわけで。
聴いているだけで苦痛なレベルです。
そして、大規模なカットがあります。
およそ全曲の三分の二くらいの長さまで刈り込まれています。
それだけならまだしも、この曲の最大の見せ場、
ラストが改変されています。
ネタバレになるので大まかに言えば、ハッピーエンドなのですが、
これは致命的です。
ラストのアルサーチェの即位を喜ぶ民衆の合唱、
これには一抹の陰りがあるんですよ。
ヴェルディは、個人の悲劇と民衆の喜びを重ね合わせて
幕とすることを得意としましたが、
このラストの合唱はいわばその萌芽です。
さらに言えば、ボニングの指揮。
この人、凡庸だとかやる気がないとかいろいろ言われることが多いですが、
少なくともこの録音はそういわれても仕方がないと、
後述のゼッダ盤を聴いて思いました。
さて、もう最初に聴いただけで憤懣やるかたなく、
1992年のロッシーニ・オペラ・フェスティバルにおける
ゼッダ指揮のライヴ録音(廃盤)を中古で入手しました。
ゼッダの指揮は遅いどころか、歌手の技量が低く、
体感的にも重いボニング盤よりも快活で、かといって
スピードを出しすぎることなく、まさに愉悦を感じます。
それにもかかわらず、およそ4時間という長さなんです!
改めて「セミラーミデ」は本来こうした大作だったのだと実感。
でも、ぜんぜん長いと感じませんよ!
歌手陣は、丁寧に歌っていますし、技量もあります。
現代のロッシーニ歌手ならもっと上かもしれませんが、
不満を抱くほどではないです。上出来です。
ライヴ録音ということで、 最高の音質というわけではないですが、
私はむしろ、ライヴならではの熱気の方が長所になっていると
感じました。個人的にはライヴ録音好きなんです。
これは完全ノーカットの上、ラストの改竄もされていない
きちんとした本来の歌詞です。
アルサーチェの絶望をしらない民衆の合唱、
そうすると、ときおり混じる陰りが活きてくるわけです。
ゼッダの指揮はやはりよいです。
この演奏を聴いて、ボニング盤がいかに凡庸な指揮だったかわかりました。
恐怖の表現、勇ましさの表現、愛の表現、絶望の表現、
そして愉悦。すべてにおいてさすがと思わせられました。
それにしても、ゼッダ盤がある現代においてなお、
ボニング盤が「名盤」扱いされているのは、
どうにも理解に苦しみます。
やはりロッシーニにおいては、新しい演奏の方がよく、
「歴史的名盤」というのはアテにならないと、
何度目かわかりませんがまた確認した次第です。
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