ヴィドールの4曲の最初のオルガン交響曲の初稿の演奏です。
(HMV)
(国内仕様盤) (輸入盤)
具体的に書く前に、ちょっと当時のフランスのオルガン界をざっと。
バロック時代あれほど隆盛を誇っていた
フランスのオルガン音楽は、革命と共に消え去りました。
19世紀前半、オルガニストらしいオルガニストはボエリーくらいで、
あとは戦争や嵐の描写をやって喝采を受けているという状況でした。
状況が一変したのは、1850年代のパリにおける
ベルギーのオルガニスト・レメンスの演奏会です。
足鍵盤も含めたまともな演奏を耳にして、フランクをはじめ
フランスのオルガニスト達は新たな道を探り出します。
レメンスの作風を知るのにはこのオルガン・ソナタ全集などがいいでしょう。
(HMV)
ちょっと脇道ですが、フランクを例に、いかにレメンスの
演奏会が大きな衝撃だったかを。
現在フランクの「オルガン作品全集」として
(HMV)
流布しているものは、「レメンスの演奏会以降の作品だけ」なんです。
幻想曲ハ長調は実は現行版は第3稿でして、まあ初稿も1856年ですから
「レメンス以降」なのですが、3回改訂している意味は十分わかります。
熟成させる必要性はフランク自身それだけ感じていたのでしょう。
フランクは極めて寡作家というイメージがありますが、これは誤りで、
高弟であったダンディが、スコラ・カントルムにおける
作曲の「ご神体」としてふさわしいフランクの作品を厳選し、
他の作品を見事に「なかった」ことにしてしまったのです。
最近ポツポツと「なかった」ことにされた作品も
耳にできるようになってきましたが、
オルガン作品に関して、「レメンス以前」の作品は、
ダンディの打ち立てたフランク像が
お好きな方は耳にしない方がいいです(笑)。
一応完全全集が3分巻各2SACDで出てはいますので、
紹介しておきます。
Complete Organ Works 1
(Vol.1) (Vol.2) (Vol.3)
さて、ヴィドール。実はヴィドールはレメンスの弟子です。
しかもパリ演奏会以前からベルギーに留学して学んでいました。
ヴィドールといえばオルガン交響曲第5番の「トッカータ」が有名ですが、
さて、ここで多少擁護する必要があるかな、と思いました。
ヴィドールが「オルガンソナタ」を「交響曲」と
名付けた必要性については当時からいろいろいわれていましたし、
ヴィドール自身の言葉でも今一つよくわからないのです。
ですが、上述の最初の4曲のオルガン交響曲初稿の録音で
多少見えてきたことがあります。
ベン・ヴァン・オーステンによるヴィドールオルガン作品全集録音および
(HMV)
(Vol.1) (Vol.2) (Vol.3) (Vol.4)
(Vol.5) (Vol.6) (Vol.7)
ヴィドール作品に関する書籍は極めて貴重な資料なのですが、
実はこの全集録音にも多少罠があると言いますか、
ヴィドールが改訂して省いたり付け足したりした楽章を
付録として収録しているのがかえって問題なのです。
ヴィドールはかなりの改訂魔で、上述のような
楽章の入れ替えだけでなく、既存の楽章にもかなり手を加えています。
よって、トラック操作によって仮想的に「初稿」を聴いたとしても、
実は全然別物なのです。
そして、ヴィドール作品において権威ともいえるオーステンが
そのような録音趣旨を通したためか、
「オルガン交響曲」の一つの楽章を抜き出すということも
正当化されたのかもしれません。
まあ、曲によっては5つものヴァージョンが存在する
ヴィドール作品を全部収録するというのは、
一般愛好家にとってどれほど意味があるかは不明です。
専門家ならば楽譜にアクセスすればよいだけですし。
ただ、ひとつの楽章を抜き出すという悪弊だけは問題なのです。
さて件の初稿録音、これは極めて興味深いものでした。
オーステンがすでに著作で述べていましたが、
最初の4曲の現行版は、有機的統一を図ろうとするあまりに、
初稿のもつ自然な音楽の魅力をかなり削いだものであることは事実でした。
この初稿ならば、一つの楽章を抜き出して演奏しても問題ないでしょう。
事実、これら4曲は成立過程は既存のヴィドールの単独作品を
ある程度改訂して組みなおしたものです。
ではヴィドールがこの4曲に限らず、改訂をくり返したのはなぜか?
レメンスはベルギーのオルガニストでしたので、
ドイツのレパートリーにも通じていました。
バッハ作品を結果的にフランスに伝えたのは
元をたどればレメンスに突き当たります。
レメンスの元で学んだヴィドールは、フランス人でありながら、
かなり特殊な位置にあったのです。
パリ音楽院でフランクの死後、オルガン科の教授になった
ヴィドールは、即興演奏主体の教授方法から、
解釈や演奏技術を主体とした系統だった教授方法に切り替えます。
当時フランクを慕って入学したヴィエルヌは、「敵意すら覚えた」
と回想しています。
しかし、隙の無い徹底した教授方法はやがて学生の支持を得ます。
まあ、他の教授たちは別だったようですが…。
さて、これらの事柄から見えてくること、
ヴィドールは徹底した有機的統一体としてのオルガン作品を
模索していたと考えて間違いありません。
しかし、なかなか成功したとはいえなかった。
第10番をもって「オルガン交響曲はもう作曲しない」と発表しますが、
第9番、第10番の2曲は、ヴィドールの意図した世界がほんの少し
見えるような気がします。
しかし、結局ヴィドールの意図した理想は、当初ヴィドールを敵意をもって迎えた
弟子・ヴィエルヌの、一つの旋律の要素から全曲を構成するという
究極的な6曲のオルガン交響曲を待たねばならなかったのです。
(HMV)
こうなってくると、ヴィドールの系統だった論理的教授法というのは、
自分がもし理想を果たし得なくとも、
弟子が受け継いでくれることを想定したためのように思われます。
ヴィドール作品は各曲のヴァージョンの数の多さが示す通り、
新しいジャンル開拓の軌跡そのものです。
ヴィドール作品の演奏にはヴァージョン選択の問題、
そのヴァージョンで意図されたこと、
そのヴァージョンの長所短所、すべて考慮に入れねばなりません。
少なくとも、全曲見渡すヴィジョンが不可欠です。
一つの楽章を抜き出すこと、それ自体はいいとしても、
それをもってヴィドールの作曲能力を評価するのは無理でしょう。
それらすべてと、実際の演奏能力を兼ね備えた人物が出現するまで、
評価は保留するしかないように思いました。
それと同時に、まさに生涯をかけて新しいジャンル開拓を貫き、
愛弟子によってその思想が具現化されたため、
いかにも過渡的人物と評価される悲劇…。
新しいジャンルを作り出すのにこれだけの覚悟を以て
臨んでいる作曲家は稀有だということは評価したいです。
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