2013年1月13日日曜日

頑張れドニゼッティ研究者

最近はロッシーニばかり聴いていて、
久しぶりにドニゼッティを聴いてみました。

「ゴルコンダの王女アリーナ」




(Amazon) (HMV)


1828年初演作品ですから、ロッシーニはもうパリにいる時代ですね。
ロッシーニのパリ時代の諸作品は、たしかに絢爛なパリの様式を
感じることができますが、ロマン派というには、
私はなにか戸惑いがあります。
どこか、古典的均整を強く感じたりします。
有名な「ウィリアム・テル」のシンメトリー構造などその最たるものでしょう。

そういうロッシーニをずっと聴いて慣れてきて、
ますますロッシーニの天才を痛感していましたが、
上記ドニゼッティのあまり有名でない作品を聴いて、
ドニゼッティはロマン派なのだなあ、と強く感じました。

まあ、これは演奏者たちがあまりにも熱演過ぎる、ということも
関係があるのかもしれません。
20世紀初演のライヴ録音なのです。

この作品はしかし、「セミセリア」といういささか古い形式です。
ロッシーニでいいますと、「どろぼうかささぎ」や「チェネレントラ」 などが
「セミセリア」のジャンルに属します。
これがまた説明困難なんですが、セリアとブッファの中間、というわけでもないんですよ。
むしろ様式的なジャンルとしての分類でして、
典型的な筋立てとしては、いわゆる「救出もの」があります。
セミセリアではありませんが、お話的には、
モーツァルトの「後宮からの誘拐」やベートーヴェンの「フィデリオ」を
思い出してください。ブッファ的な役柄
(前者のオスミンや後者のロッコ)、
セリア的な役柄(前者のセリム、後者のドン・フェルナンド)、
そしてヒロインと主役ですね。
こうした筋立てが好まれた時期があり、それにふさわしい様式として
セミセリアというものが現れたようです。

ドニゼッティはしかし、この「セミセリア」の最後の巨匠ともいえる人で、
晩年の「シャモニーのリンダ」も「セミセリア」、しかも救出ものです。
それはドニゼッティの気質と関連していたかもしれません。

さて、上述の「アリーナ」ですが、
ロッシーニのパリ時代初期と同時期とは思えないほど、
ロマン的芳香がかなり強いのでおどろきました。
パッパーノなどはヴェルディの書法に決定的影響を与えたのは
ドニゼッティではないか、と言っていますが、そうかもしれませんね。
反対に、ドニゼッティ初期はロッシーニの亜流といわれることもありますが、
確かに影響は避けられないでしょうが、亜流とは思えません。

ところでこの作品、こんなにマイナーな作品なのに、
フィナーレが3種類もあるそうです。
ここでの演奏は、時代的に一番ふさわしと思われる
ロンド・フィナーレを採用しています。

さて、ドニゼッティについて考えてみました。
ロッシーニにはペーザロという聖地があり、
ゼッダら献身的で勤勉な研究者と、
ロッシーニ歌手たちによって、
最新の研究成果をロッシーニ音楽祭という舞台で
毎年世に演奏を送り出しているという、
すばらしい循環が出来上がっています。

対して、ドニゼッティは、生地ベルガモで音楽祭をやって、
いろいろ復活上演などされていますが、
ロッシーニほど研究は進んでいない状況です。

たとえば、彼のもっとも有名な作品の一つ「ランメルモールのルチア」、
その狂乱の場の調性が本来の調性(複雑に変化します)に戻されたのは
実に最近のことで、それまではト長調で統一されているような
印象に改変されていました。
さらには、この狂乱の場でのフルートとハープのカデンツァは
まったく第三者の創作であるばかりでなく、
そもそもオブリガート楽器はフルートではなく、
機械式のグラスハーモニカということで、
そういう本来の形に戻されたのも21世紀になってからです。

重要なのは、「もっとも有名な作品でさえそうした状況」ということです。
ロッシーニの作品が次々と最新研究の成果を踏まえて
クリティカル・エディションを刊行し、ペーザロで上演する、
そうしたことがどんどん行われているのに、
ドニゼッティはまだまだこれからなんです。
そして、「ルチア」でわかるとおり、彼の作品は
かなり改変されているようです。

ベルガモもペーザロのように、ドニゼッティ研究・演奏のメッカと
なることを祈りたいと思います。
がんばれ、ドニゼッティ研究者!

2012年12月27日木曜日

旋律美の功罪

投稿の題をご覧になって、
ん?旋律は美しいにこしたことはないじゃないか、
とお考えのみなさん、私もそう思っていました。
器楽作品などではそれでいいのかもしれませんが、
ヴェルディの中期作品を考えるうえで、
結構「功罪」両面がポイントになるのではないかと、
いろいろ考えることがあったので、書いてみます。

ヴェルディ中期といわず、全ヴェルディ作品でも
人気の高い「リゴレット」「トロヴァトーレ」「トラヴィアータ」の
3作品ですが、この3作はヴェルディが究極的に
大アリア形式(シェーナ‐カヴァティーナ‐シェーナ‐カバレッタの定型)を
追求した最後の作品であることは指摘されているところですが、
逆に考えれば、つまりは究極的に旋律美を追求した、
とも考えられるわけです。

実際、この3作品は、それぞれの方向性・性格の違いはあれど、
ヴェルディの中でもとりわけ印象深い旋律にあふれていることは
共通して言えると思うのです。

いいことじゃないか、というのはそうなんですが、
リゴレットに関して、ある方と話していてハッとしたのです。

「リゴレットは笑われなくちゃいけないんですよ、
どんなに真面目に怒っても憐れみを求めても。
実際に歌ってみて気が付きました。」

リゴレットは道化です。
その呪われた宿命からは逃れられない、
楽譜を読み込むとそうとしかとれない、というのです。

モンテローネ伯爵を嘲笑の的にしたリゴレットは、
まさに「呪い」のように、自身にも不幸が降りかかるわけで、
愛娘ジルダを返せ、という彼の怒りの様子は、
音楽が迫真なだけにその旋律にまかせて歌ってしまう罠があるのですね。
確かに、リゴレット自身は真面目に怒らなければならない。
でも、観客は廷臣たち同様、それをみて笑う気持ちにさせなければならない。
そうなんです、オペラは演劇なんですよね。

ヴェルディが果てしない同情を寄せて書いた
リゴレットの旋律は、その美しさゆえに、
それだけでドラマを作り出してしまう。
それは歌い手にとっては落とし穴でもあるということなのです。

「トラヴィアータ」ではどうか。
ヴィオレッタに息子と別れてくれ、と迫るジェルモン。
第2幕の2人の二重唱の胸に迫ることといったらありません。
わたしはたびたび泣きそうになります。
ところで、演劇的にこの場面を考えたらどうか?

「かわいそうに、お泣き」と言うジェルモンは、
はたして本心からそう言っているのか。
この二重唱の旋律があまりにも真に迫りすぎ、
私たちはほとんど他の可能性を考えられなくなります。
が、歌詞だけで考えると、
息子と別れてほしい一心で、
みせかけの同情をよせている、
という、あまり考えたくない可能性も排除できないわけです。

ヴェルディの旋律はあまりにも美しく、同情に満ちています。
が、あまりにも美しいため、演劇的にも
美しい解釈しか許されない、というのはどうなんでしょうね?

興味深いことにこの3作以降ヴェルディは大アリア形式と決別します。
私が考えるにこの3作はヴェルディが旧来の形式と旋律美を
徹底的に追求し、そしてそれでどこまで演劇的に
核心に迫れるか、その実験だったように思えてきました。

上記の2つの例だけでも、あまりにも美しい旋律は、
演劇的な解釈の幅を狭めてしまう、
そんな「罪」の部分をヴェルディも感じたのではないでしょうか。



なにかのきっかけでお立ち寄りいただいたみなさん、
今年一年ありがとうございました。

また来年もよろしくお願いいたします。
それではよいお年を。

2012年11月25日日曜日

ロシア文学と地歌・筝曲

今更ながらにドストエフスキーにはまりまして、
3年を費やし、いわゆるドストエフスキー五大長編、
「罪と罰」「白痴」「悪霊」「未成年」「カラマーゾフの兄弟」や、
ほかのいくつかの作品も読みました。
こんな圧倒的感銘を与えてくれる作品を
今まで読んでいなかったことは、
恥ずかしいことでもありますが、
この年になってもまだ楽しいことが世の中にたくさんある、
と、前向きに考えています。

ところで、私は引っ越しが多く、散逸したものも多いのですが、
両親の青年時代に読んでいた本を多く受け継ぎ、
その意味では読書代は助かりました。
ただし、古い本ですので、旧字体、旧仮名遣いですが。
これはそれでも、ドストエフスキーを読むには幸いしました。
書き散らかしたような面もなきにしもあらずの
彼の文章は、読みやすい翻訳ですと、
意味を深く考えられないので、
読むのにひと手間かかる旧字体、旧仮名遣いは
じっくり意味を受け止めつつ読むにはかえってよかったようです。

さて、本題に入りましょう。
上述の通り、古いドストエフスキー翻訳といえば、
米川正夫氏の翻訳で、少なくとも五大長編は
全て氏の翻訳で読みました。

そして、邦楽にあまり縁のない方は疑問を持たないかもしれませんが、
「米川」という姓は比較的珍しく、
「まさか地歌・筝曲の演奏家を多数輩出している米川家と
関係あるのではないだろうか?」と、気になって調べてみますと、
関係あるどころか、当事者じゃありませんか!

これはびっくりです。
地歌・筝曲の米川家というと、米川文子さん、米川敏子さんは
すでに現在2代目であり、その他大勢演奏家を生んだ
名門といっていいでしょう。
そういう家系ですから、 米川正夫氏も、
幼いころから、箏、三絃の手ほどきは受けていたようです。
しかも、かなりの腕前だったようです。
同好会のようなものを主催し、「残月」を演奏した、という話があります。

「残月」というのは、日本を代表する作曲家、峰崎勾当の代表作の一つで、
演奏時間20分を超える大曲です。
それだけではなく、演奏が本当に大変なんです。
これは「手事もの」といわれる、中間部に長い器楽間奏部をもつ歌曲ですが、
まず、唄部分が、ほかの手事ものと異なり、ずっとスローなままです。
これを聴かせるには大変な唄の実力が必要です。
さらに手事、この曲の手事は、五段からなる大規模なもので、
しかも唄部分と激しい対照をなす、きわめて華やかなものです。
ここでは楽器の腕が厳しく問われます。
そして、演奏至難という以前に、この曲の格は非常に高く、
ただ「演奏できる」という程度の人間に演奏が許される曲ではないのです。

「残月」の箏の手付はいろいろあるのですが、
米川正夫氏の兄にあたる琴翁の手付は米川家系の演奏家では
ひろく演奏されています。
それだけ米川家ではいっそう大切でしょうから、なおさらです。

なお、 米川正夫氏の主催していた「桑原会」には
内田百閒なども参加していたようです。
内田百閒のほうもこちらでも面白いエピソードがあり、
宮城道夫と合奏した様子などを自作に書いていたりします。

なんにせよ、戦前のインテリの底力というものを感じます。
当時は専門だけではなく、趣味でも一流でこそ、ということが
あったのでしょうね、とても現代では考えられません。
「嗜む」趣味人は現代でも多いでしょうが、
上述の通り、玄人はだしのこういった知識人が
すくなくなかったというのは、見習うべき点でしょう。