2012年3月28日水曜日

獅子ものについて

邦楽には「獅子」に関する曲が多くあります。
一般の方には「獅子舞」が一番なじみがあるのではないでしょうか?

ところで、現在の獅子舞より前に、雅楽の全盛時代にもすでに
獅子舞はあったようです。
雅楽はあまりなじみのない方は「越天楽」のように
器楽合奏だと思われがちですが、
神楽歌や催馬楽、朗詠などの歌曲や、
舞楽のようにその名の通り舞がつくものも多いのです。

最近は舞楽は公演でも盛んになってきて、
専門家でない方たちの趣味としても結構人気が出てきているようです。
こんなCDがあります。
舞楽

この2枚組CDは左舞と右舞でそれぞれ1枚構成し、
ライナーノートには舞踏譜までついているというすばらしいものです。
上述のように舞楽を趣味でやってらっしゃる方には特に最適です。

さて、「楽家録」 という雅楽古書があります。
そこに獅子舞についての記述があります。

「獅子者、非笙篳篥之曲、唯為横笛秘曲」

これを読んで、「え?雅楽って合奏じゃないの?」と思われる方も
いらっしゃるでしょうが、平安時代には龍笛はもちろん、
楽筝や楽琵琶独奏の秘曲があったらしく、源氏物語や
平家物語に曲名がいろいろ出てきます。
残念ながら、「秘曲」ということで伝承をなかなかしなかったために
現在では伝わっていません。
ただ、当時は独奏曲も各楽器にあったわけですね。
そして獅子ものは横笛の秘曲だったというわけです。

そうすると、能楽囃子の「獅子」の特殊性も関連あるかもしれません。
能楽囃子は多くは黄鐘基調、まれに盤渉基調なのですが、
「獅子」だけは獅子独特の特殊な基調をしています。
また、かなり格の高い曲とされています。

能楽囃子の「獅子」はこれに収められています。
能楽囃子名曲集

笛は名手・藤田大五郎さんです。

ところで、能の囃子というのは、同じ曲でも演目によって
微妙に雰囲気が変わります。
「石橋」は「獅子」が見せ場の曲なので、そちらも紹介しておきます。


さて、他にも地歌には「獅子もの」というジャンルがあります。
「○○獅子」という曲名で、手事もの(長い器楽間奏部のある曲種)の
源流の一つで、古いジャンルです。
そのなかの 藤永検校作曲「八千代獅子」の手事は、
もともと尺八(といっても一節切という普化尺八と異なるもの)
の曲を三絃に移したものです。
やはり、笛と関連が強いわけです。

その他、尺八古典本曲でも「○○獅子」というものは例外的といってよいほど
拍節感が強いことで異彩を放っています。
やはり民間伝承が起源なのかもしれません。
江戸が拠点だった琴古流尺八本曲はとくにそういう「○○獅子」が
多いのですが、興味深いことに、同じく江戸が拠点だった
胡弓藤植流の本曲でも獅子ものが多いのです。
私は、相互交流がかなりあったのではないかと想像しています。

獅子というのはこのようにいろいろなジャンルにわたって様々あり、
 雅楽書である「楽家録」に記述があることを考えると、
かなり古い起源があるのではないでしょうか。

2012年3月25日日曜日

ロッシーニの未出版宗教作品


ロッシーニの「未出版宗教作品全集」3枚組を購入しました。

最初の作品はなんと16歳の時のもの。
年代順に収録されているわけではないですが、作曲年表記あり。

正直16歳のときの「クレド」を聴いたときは「これは外れだったか」と
感じましが、2年後の「グローリア」では
もうすでに私たちの知っているロッシーニ 。
なんという上達スピード。やはり彼は紛れもない天才だということでしょう。

なお、「未出版」 の全集なので、グローリア・ミサや、
有名なスターバト・マーテル、小ミサ・ソレムニスは収録されていません。
が、それらはすでに手持ちですから好都合でした。

ロッシーニは今年に入って、ほぼ全部のオペラ(別バージョン含む)を
聴いてきたのですが、彼はセリアにおいてかなりいろいろと
野心的な先進的試みをしているのに、いまだブッファの作曲家と
考えられているのは残念です。
もっとも、オペラ愛好家の間では毎年のロッシーニ・フェスティバルが
いわばバイロイト音楽祭と並ぶイベントになっているので、
私もようやくロッシーニの才能を痛感しているのも
遅きに失した感はありますが。

いずれ今積極的に聴いているドニゼッティとともに、
このブログでも私なりにまとめてみたいと思います。
今日のところは、「栴檀は双葉より芳し」ということの報告ということで。

2012年3月23日金曜日

L'Amour de loin

しばらくサボっていたので連続更新です。

サーリアホのオペラ、「彼方からの愛」、現代音楽では珍しいことに、
違う演奏のDVDとSACDがあります。

DVDの方はサロネン指揮フィンランド国立歌劇場管弦楽団、
クレメンス役にアップショウなどの顔ぶれ。


SACDの方は、ケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団、
クレメンス役エカテリーナ・レキーナなどの顔ぶれ。


さて、絵付きのDVDと、音質でまさるSACDということで、印象がかなり違います。
DVDの方はその静謐な水を印象的に使った舞台演出とともに、
サーリアホ特有の透明感が相乗効果で非常に美しいです。
サロネンはサーリアホ作品をよく指揮していますし、しっかり把握している印象。

SACDの方は、さすがに細かいところまでよく聞こえます。
特に合唱がくっきりしていて、ちょっとびっくりしました。
ケント・ナガノは初演指揮者。
メシアンのアッシジのフランチェスコなどでも成功していますし、
ザルツブルク音楽祭でのこのオペラの成功に一役買っていたのかもしれません。

まあ、本音をいうと、私はサーリアホの音楽は80年代が一番好きなんですが。
とくに切り詰められた編成の作品での研ぎ澄まされた感性は、
これはすごい若手が出てきたもんだ、と思い、それから追っかけていますが、
保守的といわれるザルツブルクの聴衆を意識したのか、
語法が変化しているなと思います。
たぶん、現代音楽なんか聴かない人でも受け入れやすい方向へと。
これが自発的なものかどうかはわかりませんが、
80年代、あるいは、Du cristal、...A la fumee の2部作(89~90)の頃の
ほうが、個性的で魅力があったと思うのは懐古的にすぎるでしょうか。

サーリアホは2つ目のオペラも書いているようですが、未聴です。
ただ、まあ聴きやすい現代オペラがあるのはいいことなのかもしれませんが。
私は、新作の無いジャンルは滅びる、というのが持論ですので。

人はどこまでも贅沢である(ヘンデルの場合)

ヘンデルのクラヴサン作品(イギリスに帰化したからハープシコード作品かな)、
いろいろ聴いてきたのですが、ソフィー・イェーツによる、1720年及び1733年曲集の
全曲(3枚分売)が今のところベストかな、と思います。

あと、引退して僧侶になったポール・ニコルソンの演奏もなかなか良いです。


ボーモンの2枚も良いですけれど。

まあ、相当高評価の演奏ではあるのですが、分売とか曲順とかで買いそびれていまして。
知っている方には、何を今さら、なんでしょうね。お恥ずかしい。
確かに遊び心も忘れない良い演奏でした。装飾の趣味が良いんですよ。

いやしかし、ほんと数だけはあるんですけどね、いろいろ。
レオンハルト御大はヘンデルはプリミティヴすぎるから弾かない、
とおっしゃって結局録音しないまま他界されたし、
ほとんどの録音は1720年曲集だけだったり、
唯一の全集は演奏が話にならないものだったり、
なにか呪われてるのか、っていう感じさえします。
ソフィー・イェーツのヘンデルは全集になる、
というような情報もあったような気がするのですが、
それは出版された組曲の全集、という意味だったのかな?もったいない気がします。

ヘンデルはもう昔から偏愛していて、最近はオペラやオラトリオの
同曲異演が楽しめるなど、昔からは考えられない贅沢な状況ですが、
唯一の穴、クラヴサン作品、これをなんとか早く埋めて欲しいなと思います。
人はどこまでも贅沢であるのです。

2012年3月6日火曜日

忘れがたき原体験:ワルター指揮の「大地の歌」

誰しも子供だった経験があるというのに、大人になるとなぜか「子供に分かるわけがない」とか
なにか上から目線になるのはなぜなんでしょうね?

私の成人してからの経験から言っても、子供の感受性は恐るべきものがあると思います。
少なくとも、「世評」とか「定評」とか念頭にない分、大人よりはるかに本質を見極める。
練習用の三味線で練習していたら「今日は変な音だね」といわれた知人、
子供は尺八でも地無し管の音を好んだりするという経験が私もあります。

だから、邦楽教育でも明治以降のヘンな洋楽っぽい曲を
邦楽器で演奏させるのはもってのほかだと思うのです。
すくなくともそんな曲を喜んで演奏しているのは大人だけです。聴いているのもね。
子供は本質を見極める目は大人より鋭いのだから、古典をしっかり聞かせたり、
演奏させたりするべきだと思います。曲が難しいというのは、
これまた子供の恐るべき適応能力をなめた考え方です。
洋楽器では結構な難曲を弾く子供なんていくらでもいることを思い出しましょう。

さて、なんでこんな話をしたかというと、ワルター指揮のマーラー作曲「大地の歌」、
これが私の原体験の一つなんです。
小学生の時、小学生なりにいろいろ悩んでいたことがあって、
マーラーのようなちょっと病んだ音楽が好きでした。
誕生日やクリスマスにカセットを買ってもらってちょっとづつ聴いていました。
なにしろ曲が長いし、FMでもなかなか放送しなかったので
(まだいわゆる「マーラーブーム」前でした)、
こういう方法しかなかったんですね。

で、友人がマーラーのLPを親が持っているといってくれまして、
そのときいろい聴きました。なかでもワルターの「大地の歌」は格別の印象を受けました。
子供は子供なりにいろいろ感じるものなんですよね。

で、大人になり、ワルターの「大地の歌」には数種類あることを知りました。
あの時聴いていたのはどれだったのか、ちょっとわからないだろうなと思っていました。


これだったんですよ。驚くべきことに聴いた瞬間に わかりました。間違いなくこれです。

子供時代はいわば毎日が新体験の連続で、時間の経過を長く感じ、
経験を重ねた大人は、時間の経過を早く感じるといいます。
この演奏を聴いて小学校の頃、いろいろ悩んでいたり考えていたり、
日々過ごしていたことまでいろいろとよみがえってきました。
そしてそのことを思い出し、やはり子供はあなどれないと。
まあ、今の私が成長していないだけなのかもしれませんが。
子供の感受性おそるべし、と我が事ながら感じています。