なにか上から目線になるのはなぜなんでしょうね?
私の成人してからの経験から言っても、子供の感受性は恐るべきものがあると思います。
少なくとも、「世評」とか「定評」とか念頭にない分、大人よりはるかに本質を見極める。
練習用の三味線で練習していたら「今日は変な音だね」といわれた知人、
子供は尺八でも地無し管の音を好んだりするという経験が私もあります。
だから、邦楽教育でも明治以降のヘンな洋楽っぽい曲を
邦楽器で演奏させるのはもってのほかだと思うのです。
すくなくともそんな曲を喜んで演奏しているのは大人だけです。聴いているのもね。
子供は本質を見極める目は大人より鋭いのだから、古典をしっかり聞かせたり、
演奏させたりするべきだと思います。曲が難しいというのは、
これまた子供の恐るべき適応能力をなめた考え方です。
洋楽器では結構な難曲を弾く子供なんていくらでもいることを思い出しましょう。
さて、なんでこんな話をしたかというと、ワルター指揮のマーラー作曲「大地の歌」、
これが私の原体験の一つなんです。
小学生の時、小学生なりにいろいろ悩んでいたことがあって、
マーラーのようなちょっと病んだ音楽が好きでした。
誕生日やクリスマスにカセットを買ってもらってちょっとづつ聴いていました。
なにしろ曲が長いし、FMでもなかなか放送しなかったので
(まだいわゆる「マーラーブーム」前でした)、
こういう方法しかなかったんですね。
で、友人がマーラーのLPを親が持っているといってくれまして、
そのときいろい聴きました。なかでもワルターの「大地の歌」は格別の印象を受けました。
子供は子供なりにいろいろ感じるものなんですよね。
で、大人になり、ワルターの「大地の歌」には数種類あることを知りました。
あの時聴いていたのはどれだったのか、ちょっとわからないだろうなと思っていました。
これだったんですよ。驚くべきことに聴いた瞬間に わかりました。間違いなくこれです。
子供時代はいわば毎日が新体験の連続で、時間の経過を長く感じ、
経験を重ねた大人は、時間の経過を早く感じるといいます。
この演奏を聴いて小学校の頃、いろいろ悩んでいたり考えていたり、
日々過ごしていたことまでいろいろとよみがえってきました。
そしてそのことを思い出し、やはり子供はあなどれないと。
まあ、今の私が成長していないだけなのかもしれませんが。
子供の感受性おそるべし、と我が事ながら感じています。
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