まだ一度しか聴いていないので消化不良の部分もありますが、とりあえず感想など。
ピリオド楽器演奏ではくどいくらい考証について記述があるものですが、
なんとオケのメンバー表すらないのは驚きました(苦笑)。
おかげで類推するしかありません。
しかし、かなり考証されていることは伺えました。
当時の管楽器先進国フランスとの関係を考えれば、
トロヴァトーレ作曲時点よりやはり古めの管楽器の音色なのは当然でしょう。
そして、トランペット、ホルンの音量がそれほどではないため、
実はヴェルディが重要な部分で愛用している
トロンボーンのペダルトーンがはっきり聴き取れます。
たしかにこういうバランスを前提にオーケストレーションしていたのだろうと思いました。
しかし、イタリアオペラはなんといっても歌手。
歌唱法ですが、完全なベルカントではありませんし、
古楽唱法でもありません。ヴィブラートを使うところでは使います。
はっきりと法則性を見いだせたのはヴェルディが重要な言葉を強調するとき
愛用したオクターブ下降の部分。この時は必ずヴィブラートをかけています。
個別の歌手の声量はですから、それほど大きいわけではないのです。
しかし前述のとおりオケ自体の音量とのバランスではこれで十分です。
オビには「アズチェーナ役のナエフも迫力満点」とありますが、
これはナエフがアズチェーナという異質な役割のため意図的なのか、
あるいはコンセプト理解不足なのか、まだ判然としませんが、
ヴィブラートをかけてベルカントに近い歌い方をしているだけです。
ですから結果的に声量が出て迫力があるように聞こえますね(苦笑)。
それから「トロヴァトーレ」というとみなさん気になると思われる
カバレッタ「見よ、恐ろしい火を」について書かなければなりませんね。
まずモダン楽器演奏のはなしなのですが、
唐突ですが、私は「オペラ歌手」としてのパバロッティは、
どんな役柄でもすべて「パバロッティ」という役柄を演じるので嫌いなのですが、
「声を出す器」としての能力を認めるにはやぶさかではありません。
ああ、こんな書き方する時点で本当に嫌っていることに気が付いた(汗)。
で、パバロッティがマンリーコを歌っているディスクでの件のカバレッタ、
トランペットとの相乗効果でものすごい輝きなんですよ。
おそらくモダン楽器演奏でこのカバレッタをここまで効果を出せるのは彼くらいかも。
しかし、ピリオド楽器演奏となると話は変わります。
意外なことにトランペットはそれほど目立ちません。
といいますか、木管楽器、弦楽器、テノールの声というアンサンブルでの
音色がすばらしい…これもこういうアンサンブルを本来意図していたのでしょうね。
でも、モダン楽器のトランペットはあまりにも音量があり過ぎるため、
パバロッティのような歌手との共演でしか光り輝けないようなものに変質してしまっている。
それから、前述のとおり、ヴィブラートは本当にここぞというところでしか使いませんので、
アリアでのノンヴィブラートでのオケと声の美しさは想像以上です。
あ、アズチェーナ以外ですけど(笑)。
本当になんで彼女だけこんなにベルカントに近いのかなあ。
役柄がアズチェーナだけに意図的なのかどうか深読みせざるを得ないじゃないですか。
とりあえず、ヴェルディもピリオド楽器で演奏する意義は十分あることはわかりました。
声を含めたオーケストレーションの音色が全く変わってしまっています。
つくづくヴェルディはそういう「声」を含めてオーケストレーションした人だったのだと
改めて強く感じました。ワーグナーとはそこがやはり違うんです。
あと、番号制オペラにはその良さがあると私は思います。
ライブだと特にそれがわかりますね。
特に、シェーナ→カヴァティーナ→カバレッタ の三段ロケットで盛り上がって、
興奮のままに拍手が沸き起こるのが好きなんです。
ワーグナーは「藝術とは絶えざる連続体だ」と言ったそうですが、
なるほど、番号制オペラから脱却したのも当然ですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿