2012年2月27日月曜日

ムソルグスキー受容:天才と優等生

私がクラシック音楽を聴くきっかけになったのは、
ピアノ版(断じて管弦楽編曲版ではない!)の「展覧会の絵」でした。
多分、この作品の、ピアノ原典版でなければ、ここまでクラシックにはまることはなかったでしょう。

ムソルグスキーは間違いなく天才です。
ただ、天才にありがちなことに、規則の類からかなり外れています。
19世紀の当時にあって、それを嘆いた作曲家は少なくなかった(才能を認めているからこそ)。
友人のR=コルサコフがいろいろと余計なことをやっているように見えるのも、
それは現代の視点から、もはやムソルグスキーの原典が
当時ほどにはいびつに感じられなくなってきているからなのです。

有名なところでは、代表作のオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」。
ムソルグスキー自身の原典でも2つの版(1869年稿と1872年稿)が存在します。
そして困ったことに別の曲といえるほどに音楽が違い、
ゲルギエフのように両稿を全曲録音するやり方、
ロストロポーヴィチのように重複しない音楽はすべて演奏するやり方、
アバドのように、1872年稿をベースに、筋に一貫性を保持したままで済む部分は
1869年稿からももってくるやり方、とさまざまな対処が行われています。
そのうえにさらにR=コルサコフ改訂版が存在するわけです。

R=コルサコフ版は確かにムソルグスキーのオリジナルと比較すると
かなり凡庸で、原典版を聴きなれてから勉強のために聴いた私には
とても辛い思いをしてやっと全曲を聴いたというのが正直なところでした。
ただ、この「凡庸さ」が、この作品を普及させるために必要だったことは疑うべくもないのです。

そもそもなぜムソルグスキーが第2稿を書いたかというと、
検閲で「女性の見せ場がほとんどなくオペラとして上演するのにふさわしくない」
というわけのわからないクレームがついたからでした。
ただ、検閲でひっかからなくても、第1稿をこの当時上演してもとても成功はしなかったでしょう。
そこで第2稿ではいわゆる「ポーランドの場」を挿入して、グランド・オペラの様式に
近づけようとする努力を見せ、それはそれで成功していると思います。
ただしムソルグスキーは第2稿では、作品途中で主役のボリスを殺してしまうのです!
そして、そのあとの混乱がロシアの不幸を表すかのようで、
何とも言えない余韻を残し、この作品が傑作たるゆえんとなっていると思うのですが、
R=コルサコフはそれは当時の基準としてはあまりにも前衛的すぎると考えたのでしょう、
彼の改訂版ではボリスの死で幕を閉じるやり方に変え、
正真正銘のグランド・オペラとなっている、といえるでしょう。

そもそもバスが主役のオペラはそんなに多くありません。
私も今すぐに思い浮かぶのはマスネの「ドン・キショット(ドン・キホーテ)」くらいです。
ロシアのバスの大歌手・シャリアピンは当然「ボリス・ゴドゥノフ」を当たり役にしていました。
その後もロシアにはボリス・クリストフ等名歌手が多く生まれ、
「ボリス・ゴドゥノフ」は演奏され続けました。
そこでは明確にバス歌手が主役であるというR=コルサコフ版の需要は大きかったのです。
そして結果的に「ボリス・ゴドゥノフ」は演奏され続け、オペラ劇場の必須演目の一つとして
確固たる地位を築いたのです。

さて、ここでみたようにR=コルサコフ版の果たした役割も疑う余地なく大きかった…。
そして、ムソルグスキーのくすんだ独特の管弦楽配置と違い、
管弦楽の魔術師の一人であるR=コルサコフは、さすがに見晴らしの良い、
お手本のような管弦楽配置をしています。

この辺りは、「禿山の一夜」 の二人の版を比較するとよくわかると思います。
きらびやかでディズニー映画のようなR=コルサコフのそれと、
より土俗的で、今にも何かこの世ならぬものが現われてきそうな
ムソルグスキーのそれは、全く別の作品です。
どちらを好むかはやはり好みなのでしょう。

それは 「ボリス・ゴドゥノフ」でも同じです。R=コルサコフ版は私は耐えられないですが、
好きな人まで否定するつもりはないです。それなりの歴史的役割を担ってきた実績もあります。

そして「展覧会の絵」。これもラヴェルを代表格としてさまざまな管弦楽版 が存在します。
お分かりだと思いますが、私はラヴェルの編曲は好きではないです。
あれは近代フランスの管弦楽作品であって、断じてロシアの、ましてや
ムソルグスキーの作品ではないと思います。
ただ、受容史を考えたとき、これは 「ボリス・ゴドゥノフ」や「禿山の一夜」の
R=コルサコフ版と同じことがそのまま言えるわけです。
おそらく二人とも、ムソルグスキーの天才は正当に評価していたと思います。
そのうえで、「このまま演奏されないよりは…」と、優等生ならではの「添削」を行ったのです。

現代では原典版が聴けるかというと、それがそう簡単な問題でもないのです。
現在一般的な原典版というのはラム校訂版なのですが、これとてかなり問題があります。
「展覧会の絵」でいっても、自筆譜と曲名の段階で違うものがあることで推測できると思います。
ムソルグスキーの新全集は1997年に遅れに遅れてやっと第1巻が出版されました。
実はこれからが本当のムソルグスキーを知る時代になるのでしょう。

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