2012年5月22日火曜日

東洋の「音」

ここしばらく落ち着いて音楽が聴けないのが少しストレスです。
オペラを聴きたいのですが、演奏時間が長いですからね。

こういう時は邦楽演奏で養った「東洋の耳」が役に立ちます。
古琴の音を松風に喩えることは以前書いたとおりなのですが、
他にも有名なのは、尺八の理想の音が「竹林を渡る風の音」というのもあります。
古典文学でも自然界の音に対し非常に繊細な受け取り方が多々見受けられ、
「音」に対しての感受性は東洋はとても高いことがわかります。

ジョン・ケージの「4分33秒」は冗談音楽のように受け止められていますが、
ケージがかなり東洋音楽思想に影響を受けていたことを考えると、
そうした見方はかなり西洋音楽の概念でしか考えられなくなっている
証拠ではないかと思います。
静寂の中に耳を澄ませば、そこには豊かな音楽が存在する、
それは全く東洋的な音楽の考え方です。
ただ、それが「ピアノ作品」ということなので誤解が生まれるのでしょう。

ケージの主張した「偶然性の音楽」という言葉は、だからちょっと違うかなと。
音楽はすでに存在するものであって、
あとはそれを聴きとることができればいい。
そういう意味ではやはりケージも
西洋音楽の人だったということができるでしょう。

そしてさらに、ケージの「偶然性の音楽」でさえもあまりにも無責任とされ、
ヨーロッパでは「管理された偶然性」なる音楽が生まれます。
もうここまでくると東洋の面影はゼロですね。

さて、古琴ではポジション移動の際の「擦音」も含めて音楽です。
ただ、それはあまりに音量が小さく、奏者、せいぜい奏者のごく近くの人しか
聞こえません。ただそれでよかったのです。
古琴は自分で弾くための楽器で、聴かせるものではありませんから。
ここが現代スチール弦に変わった大きな原因でしょう。
西洋と同じく、「聴かせる」音楽として生き残るには
これしか手段はないわけです。

同じことは十三絃筝にも言えます。
本来絹糸を使うのですが(藝大では現在でも絹糸です)、
せいぜいお座敷くらいの大きさしか想定していないそれでは
小ホールといえども音が聞こえない。
右手の基本奏法はともかく、左手の繊細な音色変化は無理です。
そこで古琴のように、テトロン弦が使われるようになったのでしょう。

三味線はかろうじて絹糸が使われています。
これも将来どうなるかわかりませんね。

思うのですが、明治以降の邦楽器作品は西洋音楽的「楽音」が主で、
せいぜい物珍しさを披露する陳腐なエキゾチシズムの表現として
本来の繊細な音色変化を使う程度です。
これも、お座敷から、演奏会用ホールへと場所が移った弊害です。
こういう音楽をするなら邦楽器を使う必要がありますか?
楽器だけ邦楽器でも、「音」の考え方がまったくの西洋音楽なのです。
だから私は明治以降の邦楽器作品は西洋音楽と考えています。

今、雨が降っています。
その雨音を聴くか、その雨音の合間の静寂を聴くか、
これが分かれ目だと思います。

2012年5月14日月曜日

フォーゲルのブクステフーデ:オルガン作品全集

ブクステフーデのオルガン作品には決定盤がなかなかない、
という声をときどき耳にしますが、私はこれが文句なしの
決定盤だと思うものがあります。
ハラルド・フォーゲルによる全集です。

ブクステフーデ:オルガン作品全集: ハラルド・フォーゲル(Org.)

(Amazon) (HMV)


かつて非常にゆったりとすすめられた全集のBOX化。

フォーゲルは、録音は非常に遅いですが、演奏は
いつも非常によいのです。この全集の完成が
遅れに遅れた理由を、最後の第7集で、
ハンブルクの聖ヤコビ教会のシュニットガーオルガン
の修復完了を待っていたからだと述べていました。

全集を通じて、各地の歴史的オルガンを
使い分けているのも聴き所。
いくつかの作品では元調と移調で2回収録されていますが、
これはミーントーンのオルガンでは移調して演奏しているためです。

個々の作品の演奏を詳しく述べることはできませんが、
一例としてト短調のPraeludium(BuxWV148)を挙げてみます。
3曲あるト短調のPraeludiumのなかでもとりわけ
壮麗な作品ですが、フォーゲルの各部分の性格付けが
とりわけ見事な例でもあります。
propositioでの見事なStylus phantasticus の
飛翔感、続く最初のconfutatio での特徴的な同一音反復の
美しい均整の取れたリズム、そしてなにより、
conclusio での荘厳なオスティナート。
この2拍子によるシャコンヌはとりわけ低音が
魅力的な音色で、聖ヤコビ教会のシュニットガーオルガンの
修復を待っていた、というのは
あながち言い訳でもないな、と当時思ったものです。

この曲以外でも、総じてフォーゲルのストップ選択は
コロコロ変化をさせたりするものではなく、
歴史的奏法にそったもので、なおかつ、
その選択自体が聴きものといってよいと思います。
ストップ選択の趣味のよさはフォーゲルの
美点のひとつだと思うのです。
同じくブクステフーデの全集を出したフォクルールは、
ストップ選択に関しての助言をフォーゲルから得たことを、
ブックレットでスペシャルサンクス的に明記していたくらいです。


2007年はブクステフーデ没後300年ということで
さまざまなディスクが出たり企画されましたが、
こうした名盤がBOX化されたというのも、
こうした記念イヤーの恩恵でしょう。
多角的にブクステフーデのオルガン作品を
堪能できるBOXで、他の演奏を持っていても
買って後悔しないと思います。

2012年5月10日木曜日

古琴と松風

先日、「梁塵秘抄」を読んでいまして、このような歌が載っていました。

「月影ゆかしくは、南面(みなみおもて)に池を掘れ、さてぞ見る、
琴のことの音(ね)ききたくば、北の岡に松を植えよ。」(巻第二 三七九)

ちょっと説明が必要だと思われますので簡単に。
まず前半、当時月は直接観るものではありませんでした。
池や杯に映る月を間接的に鑑賞するのがつねでした。
庶民階級はわかりませんが、すくなくとも貴族はそうでした。

そうした当時の月見の仕方の前段を受けて後段があるわけです。
琴の音も同じく間接的に聴こう、と。

さて、なぜ松なのかとか、「琴」についても説明が必要です。
まず、「琴のこと」と歌われていますね、当時「こと」というのは
弦楽器の総称でした。枕草子や平家物語では
「琵琶のこと」 という記述もありまして、
琵琶も弦楽器ですから当然 「こと」だったわけです。
このように「○○のこと」で弦楽器を指す習わしでした。

では「琴のこと」とはどんな楽器かというと、現代の私たちの
よく知っている十三絃の筝ではありません。
当時雅楽では三種類の「こと」がつかわれていました。

まず六絃の「和琴」。これは国風歌舞に使われるもので、
つまりもともと日本にあった「こと」です。
そして雅楽管弦に使われる十三絃の「筝のこと」。
これがのちに筝曲でつかわれる俗筝になります。

さて、もうひとつが「琴のこと」です。
これは七絃の楽器で、古くから文人のたしなみとして
独奏楽器として発達してきました。
そしてこれは現代では「古琴」あるいは筝との混乱をさけるため
「七絃琴」ともいわれます。ここではこれから「古琴」と呼びますね。

「古琴」の音はしばしば「松風」に喩えられてきました。
つまり冒頭の梁塵秘抄の歌の意味がこれで
ようやく明らかになったと思います。

「月を見たいと思えば池に映る月を眺めるために南に池を掘れ、それを眺めよう、
古琴の音を聴きたければ北の岡に松を植えて松風の音を楽しもう。」

こういうことなのです。なんとも風流ですね。

ところが、現代においては筝の演奏家でさえ「筝」「琴」の字を
区別する人が少なくなったことで明らかですが、古琴は絶滅寸前です。

そして、中国では古琴奏者は比較的多いとはいえ、
現代では絹糸ではなくスチール絃を使うため、
上記の歌のような、古来喩えられた「松風」を感じることは不可能です。

洋楽でも現代、駒を高くし、スチール弦を張力目いっぱいに強くした
モダン弦楽器で古典を弾いても、例えばモーツァルトがある曲で
G♭とF♯でさんざん悩んだその苦悩の選択の結果は表現不可能ですよね。
それと同じことなんです。

ただし、さすがに文人の楽器、
絹糸を使った人もいるわけです。
劉少椿師はその一人です。

張子謙師と劉少椿師は現代廣陵琴派の代表的演奏家ということで、
知人に音盤をお借りしてこのお二人を聴いたのですが、
劉少椿師の演奏は衝撃的でした。

張子謙師は、近代的な演奏スタイル、いわばプロとして
現代の音響を追及している感じでした。
音楽家としての音楽の演奏として非常に洗練されています。
その最先端が姚公白師なのだと思います。

劉少椿師は、いい意味でディレッタンティズムを貫いておられるようですね。
文人の音楽としての古琴という感じがいたします。

解説を読んでみたのですが、
張子謙師は長い余韻での「吟」や「Nao(けものへんに柔)」を
「進復」や「退復」に改変したそうです。
これはおそらく、スチール絃の使用と無関係ではないのでしょう。
劉少椿師は「右手は正確に動かし、左手は「吟」や
「Nao(けものへんに柔)」を完璧に」と初心者に指導したそうです。
古い録音の中にも、また、完璧な状態の演奏ではないという
注意書きもありますが、
それでも十分に師の演奏の美点は伝わってきます。
「無声勝有声」、「静寂は音に勝る」、
ある意味、古典邦楽と感性を共有しているわけですね。

残念ながら日本では現在劉少椿師の音盤は入手できないようですが、
Youtubeなどでもし見つけられましたら、ぜひご一聴ください。

それまでは、冒頭の歌のごとく、松風を聴いて過ごすことにしましょう。

2012年5月5日土曜日

ヤナーチェクのピアノによるヤナーチェク

私はヤナーチェクが大好きです。
とりわけ、オペラは大好きで、ただ現段階では
言葉としてまとめるほどにはなっていません。
そこで興味深いピアノ作品録音を紹介してみます。

ピアノ作品集 イラスキー(ヤナーチェク博物館所蔵エアバー・ピアノ)(HMV)

これは 1枚で77分収録。収録されているのは、

・霧の中で
・ピアノ・ソナタ『1905年10月1日』
・草陰の小径にて(全15曲)
・ズデンカ変奏曲
・思い出

 「草陰の小径にて」が15曲なのは、いわゆる「第2集」を
ふくめているからですが、この問題ある5曲に関しては
ライナーノートできちんと述べられています。
この曲集はたしかに続編を意図されていましたが、
「Piu mosso」と「Allegro」の2曲ははずされたもの、そして
「Vivo」は未完成です。つまりヤナーチェクの最初の意図どおりなのは
「Andante」「Allegretto」 の2曲のみです。
ただし、作品としては興味深いことに変わりはなく、まず第2集として
 「Andante」「Allegretto」を演奏したのち「Piu mosso」と「Allegro」、
そして最後に未完の 「Vivo」をもってくる、というかたちにしています。

全集ではないもので、「ズデンカ変奏曲」と「思い出」 を収録してあるのも
いいですね、厳密に言えば違いますが、この実質的に最初と最後の
ピアノ作品は録音に恵まれていませんから。

さて、このCDの興味深い点は上記のとおり、ヤナーチェク自身が使用した
1876年製エアバー・ピアノを使用したピリオド楽器演奏という点です。

「霧の中で」第4曲で頻繁に現れる下降する速いパッセージの効果などは、
やはりモダンピアノではちょっと味わえないものですね、ハッとします。

 ソナタも、特に「予感」ではなんとも言えないニュアンスが出ています。

 「草陰の小径にて」第1集はまちがいなく白眉。
亡き娘との関わりを指摘される終曲は特に胸に迫りました。

ヤナーチェクの作品はあまりにも独特なので、
こうしたオーセンティシティなどの問題は度外視されがちですが、
やはり意義はたしかにあるのだと感じました。
室内楽作品などもピリオド楽器で聴いてみたいと思いました。

2012年5月1日火曜日

メンデルスゾーンのオルガン作品



メンデルスゾーンのオルガン作品全集はイニッヒのもの(Amazon)(HMV)

持っているのですが、
響きが「モダン」過ぎじゃないかな?という違和感がどうしてもぬぐえなくて、
安いことだし、これを購入してみました。
メンデルスゾーン:オルガン作品全集:ブライヒャー(Org.)(Amazon)(HMV)



我々が想像するロマンティック・オルガン、
たとえばラーデガスト・オルガンであったり、
カヴァイエ=コル・オルガンであったりは、
やはりリストの「『アド・ノス・アド・サルタレム・ウンダム』による幻想曲とフーガ」とか、
フランクの「交響的大作」などの作品以降に最適化されていると思うのです。
前者が1850年、後者が1862年の作曲であることを考えると、とても象徴的に思えます。
メンデルスゾーンの死後ですものね。
フランスのロマン派オルガン音楽とカヴァイエ=コル・オルガンの
結びつきは有名でご存知の方も多いと思います。
ヴィドールを中心に一度以前にフランスのロマン派オルガン音楽について
書いたことがあります。

ストップ変更が容易になるのも、上記のようなロマンティック・オルガンの
変化(もちろん作品の要求もあったでしょうし、相互作用でしょうが)があってこそですので、
バロック時代は無論のこと、メンデルスゾーン時代にもそうそうコロコロとストップ変更は
出来なかったわけで、ブライヒャーの全集で用いられているモーザー・オルガンでの演奏は
なにかモヤモヤしていた気持ちを晴らしてくれたところはあります。
まあ、欲をいえば、ブライヒャーの演奏がもっと冴えてくれていればいいんですけれど。

バロック様式のオルガンや、ロマンティック・オルガンは結構ありますけれど、
メンデルスゾーンに代表されるような中間期のオルガンって、意外に少ないのでしょうか?

しかし、こうしたメンデルスゾーンの作品が個性に乏しいという評はどうも納得できないですね。
たとえば、以前書きましたが後のラインベルガーのオルガン・ソナタは、
実際上、「前奏曲とフーガ」+αという構造なんですよ。
表面的にはモダンに見えて、実は基本構造はかなり保守的です。
それに比しても、メンデルスゾーンのオルガン・ソナタの多様性は
明らかであって、まあHMVなどのレビューはこの演奏が前提だからかもしれませんね。
ソナタ第3番とかもっとワクワクする曲なんですけどね…。

というわけで、もうひとつ、メンデルスゾーン時代に適したオルガンでの
全集を購入してみました。
メンデルスゾーン:オルガン作品全集:ロバン(Org.) (Amazon)(HMV)


これが当たりでした!上述の第3ソナタなども浮き立つような演奏。
全般にブライヒャーの全集よりいきいきとしています。
ただ、曲数は少な目。
ということで、ここで紹介した3つの全集で、皆さんの
目的(曲を余さず聴きたいか、最適な楽器で聴きたいか) にあわせて
ロマン派オルガン音楽のエアポケットを探究してみてはいかがでしょうか。