私が評価する「現代邦楽」はどんなものがあるか?
という質問をされて、考えているうちにいろいろわからなくなってきました。
「邦楽器を使った作品」ということであれば、
諸井誠さんの「竹籟五章」、武満徹さんの「秋庭歌一具」
あたりは評価しているけれども、これは洋楽の作曲家の作品。
ということで、下山一二三さんの作品などはどうかな、と思ったのですが、
今更になって調べてみたら、なんと松平頼則さんの弟子筋にあたる方。
もともと下山一二三さんの作品を知るきっかけは、
師匠の息子さんのCD(尺八とピアノのための作品集)で、
聴いていて、正直作品の質が…と思っていたのですが、
おひとり、下山一二三さんの作品が際立っていたので注目したことでした。
不思議なことに、あまり現代音楽界隈で下山一二三さんは話題に上らず、
邦楽の作曲家と誤解していました。
完全に無知ゆえでお恥ずかしいのですが…。
しかし、ここにきて、ちょっと自分でもわからなくなってきたことがあります。
楽器の区別が絶対的な「洋楽」「邦楽」の区別の基準なのか?
と。
いわゆる邦楽器専門の「現代邦楽」作品は、
楽器こそ確かに邦楽器ですが、語法は西洋音楽です。
たとえ、和風な味付けをしてあっても、
それはロマン派における国民楽派的なものの域を超えるものではないです。
それはたとえ天才・宮城道雄とて例外ではありません。
宮城道雄は形式的には手事物などもかなり残していますし、
それなりに伝統に気を配っていたことはうかがえるのですが、
やはりそういう時代だったのでしょう。
もちろん、それは質とはまた違う話で、
宮城道雄が天才だったのは、そうした創作の仕方でも
質を保てたところでしょう。
対して、洋楽の作曲家の中で、
たとえば私が峰崎勾当以来の日本の大作曲家と
考えている松平頼則さん、膨大な作品を残していますが、
初演すらされていない作品も多く、私の所持CDは4枚だけ、
他に聴いたことがあるのはピアノ組曲「美しい日本」と、
先日ラジオ放送されたコンチェルティーノだけ。
それでも、全てが高水準を保っているのは驚くべきことで、
洋楽器を使い、洋楽の語法を使いながらも、
巧みに雅楽などの要素を消化している、ちょっと考えられない作風です。
はたして、これを洋楽とだけ評価していいものだろうか?と。
先日演奏会で聴いた「美しい日本」、各種伝統音楽を題材にしています。
雅楽はもちろん、平曲、筝曲、民謡…。
それらの「国民楽派的」利用ではなく、構造そのものを利用しているわけです。
平曲については勉強不足で、ちょっとわからなかったのですが、
平曲をご存じのかたは「あれは間違いなく平曲」だと
おっしゃっていたのが印象的でした。
そうだろうな、と思うのは、この組曲の終曲、「箏曲風の終曲(茶音頭)」が
見事に手事物形式で、初めて聴くにもかかわらず、
「あ、手事に入った」「チラシだな」「ここから後唄か」と、
不思議なことに体が反応していたからです。
茶音頭の具体的な旋律の引用があったかどうか、それはわかりません。
あるにしても、おそらく分解されて知覚できなくなっていると思われます。
これは本当に不思議なことで、科学的説明を求められると困るのですが…。
こういう音楽を、洋楽器を用いているから、とか、
洋楽の作曲家であるから、という理由で「洋楽」と
単純にジャンル分けしていいのかな、と
前から思っていたのですが、まだ松平頼則さんの場合は洋楽器を使っている、
ということで、仕方がないかも、と思っていました。
しかし、下山一二三さんの場合には、邦楽器を使った作品が
それなりの数あります。実際無知ゆえとはいえ、
邦楽系の作曲家と誤解していましたし。
こうした場合、もう「洋楽の作曲家だから」と、
邦楽から切り離すのはどうなんだろう、と。
弟子筋にあたるとはいえ、松平頼則さんの高雅な書法と、
下山一二三さんの強烈な情念とは対極です。
しかし、これだけ面白い曲を書いていた人が
松平頼則さんの門下ということを知り、妙に納得したりもしました。
国際的に評価が高い細川俊夫さん、彼は私はどうも苦手です。
たとえば箏、三絃、尺八のための「断章Ⅰ」。
これは細川俊夫さんの80年代の特徴的な語法の作品ですが、
伝統との断絶を痛烈に感じます。
また同じく80年代の「観念の種子」。
これは声明と雅楽のための作品ですが
古来の五行思想を持ち出したりしていますが、
まったく細川俊夫さん流にアレンジされていて、
こちらもまったく伝統音楽の香りはみじんも感じない。
私は何しろ、作曲などという高度な創作行為に関して素人ですので、
何がここまで松平頼則さんと細川俊夫さんをして
伝統を感じるかどうかの差異を生じさせたのか、
専門的見地から説明はできないのですが…。
お二人とも、伝統音楽をそのまま使うのではなく、
自分なりに消化したうえで創作されているので、
表面的に和風な味付けをしているというわけではないのです。
これはもう、一応伝統音楽の片隅にいる者としての嗅覚です。
少々話がずれました。
さて、邦楽器を使えばそのまま「邦楽」になるのか、
洋楽器を使いつつも「邦楽」ということは絶対にありえないのか、
洋楽とか邦楽っていうのはなんなのでしょう?
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