2012年9月26日水曜日

藝大邦楽科では何が起きているのか?

邦楽の教育の頂点は、藝大の邦楽科だということは間違いないでしょう。
ただ、いろいろ、変なところがあるように思います。

まず、地歌・筝曲。ピッチが442固定なんだそうですね。
いやまあ、箏と三絃だけの合奏ならそれでもいいんでしょうけど、
尺八が入っても442固定というのはどうなんですか?
精密機械のごとく変貌した西洋の現代の楽器でも、
たとえば中学・高校での吹奏楽部で、
季節、天候など関係なしにピッチ固定なんてやってるところはないでしょう?
すくなくともわたしの中学・高校時代は、
合奏練習するときは指揮者が季節、天候を考慮して
基準ピッチを指示するところから始まっていましたけど…。
まして、素朴な楽器である尺八が、季節、天候関係なく
どんなときでも442固定で合奏するって変な話ですね。

まあ、できなくはないんですよ。
冬や悪天候のときはカリぎみに、
夏や好天のときはメリぎみに、
全体を通して吹き続ければいいんですね。
でも、やっぱり私はおかしいように思います。
そもそも邦楽なら雅楽基準の430でしょう。
それならまだわかります。

あと、西洋和声の授業も必修らしいのですが、
はじめのころは邦楽科の生徒は2度の和音ばかりで
回答して、教授がいい加減にしろ、って怒ったら、
だってこっちのほうが奇麗ですよ、と、みんな真顔で答えた、
というエピソードもあり、教えるほうも、本当にこの人たちに
教えていいのか恐ろしくなったらしいですが、
たとえば、藝大出身の能管奏者・一噌幸政師は、
普通なら7度や7度半になる音程を、完全八度に補正して
吹くと、ちょっと話題になったらしいです。昔のことですが。
今は、プロの若手藝大出身笛奏者にきいたら、
「みんな音感わるいんですよ、能楽囃子はイ短調!」
(注:能楽囃子は基本的に黄鐘(A)基調です)
と断言してびっくりしたことがあります。

でも、かりに旋律がイ短調だったとして、
能楽囃子がイ短調というからには、
機能和声に基づいているということじゃないですか?
「音階」あるいは「旋法」だけの問題ではなくなってしまうと思うんです。

たとえば、地歌の「夕顔」の出だしを機能和声的に考えるとします。
主音がDの場合、BとEにフラットがつくのはどうしようもない違いですが。
あと、導音は常に長二度ですのでCに♯はつきません。
これらの臨時記号を念頭におくと、

D D B♭A  A A  GE♭ D

I  I    V  DIII6VI7  II7V7   I

これが仮に西洋音楽だとするとこうなりますかね。
まあ、終止形が短二度下降が決まりなので無理やりです。
でも明らかにおかしいことは、邦楽をよく知らない方でもわかるはずです。
こんな伴奏がついたら、もう邦楽じゃないですよ。
ただ、上述のプロの藝大出身の若手奏者の「能楽囃子はイ短調説」が
正しいとすると、究極的にはほかの邦楽も機能和声に
支配されているということになる。

昔の和声の授業のエピソードとの比較で、
もしかして今の藝大では古典でもこんな教え方をしているんでしょうか?
だとしたら、現在致命的に古典を演奏できる奏者がいないことは
なるほどと、理解できます。

いいとか悪いとかはさておき、藝大を出た箏や尺八奏者は、
だいたい3か月ごとに新作の初演をやっていて、
とても古典にまで手が回らないそうです。
そうした新作は、西洋音楽の手法で作曲されていますから、
もしかして藝大では西洋和声を中心に教えているのではないかと
勘繰ってしまいます。冒頭のピッチの442固定といい、
いまどき中学校のブラスバンドでもやらないようなことが
まかり通っていることを知って、現状を知りたいなと思っています。

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