今更ながらにドストエフスキーにはまりまして、
3年を費やし、いわゆるドストエフスキー五大長編、
「罪と罰」「白痴」「悪霊」「未成年」「カラマーゾフの兄弟」や、
ほかのいくつかの作品も読みました。
こんな圧倒的感銘を与えてくれる作品を
今まで読んでいなかったことは、
恥ずかしいことでもありますが、
この年になってもまだ楽しいことが世の中にたくさんある、
と、前向きに考えています。
ところで、私は引っ越しが多く、散逸したものも多いのですが、
両親の青年時代に読んでいた本を多く受け継ぎ、
その意味では読書代は助かりました。
ただし、古い本ですので、旧字体、旧仮名遣いですが。
これはそれでも、ドストエフスキーを読むには幸いしました。
書き散らかしたような面もなきにしもあらずの
彼の文章は、読みやすい翻訳ですと、
意味を深く考えられないので、
読むのにひと手間かかる旧字体、旧仮名遣いは
じっくり意味を受け止めつつ読むにはかえってよかったようです。
さて、本題に入りましょう。
上述の通り、古いドストエフスキー翻訳といえば、
米川正夫氏の翻訳で、少なくとも五大長編は
全て氏の翻訳で読みました。
そして、邦楽にあまり縁のない方は疑問を持たないかもしれませんが、
「米川」という姓は比較的珍しく、
「まさか地歌・筝曲の演奏家を多数輩出している米川家と
関係あるのではないだろうか?」と、気になって調べてみますと、
関係あるどころか、当事者じゃありませんか!
これはびっくりです。
地歌・筝曲の米川家というと、米川文子さん、米川敏子さんは
すでに現在2代目であり、その他大勢演奏家を生んだ
名門といっていいでしょう。
そういう家系ですから、 米川正夫氏も、
幼いころから、箏、三絃の手ほどきは受けていたようです。
しかも、かなりの腕前だったようです。
同好会のようなものを主催し、「残月」を演奏した、という話があります。
「残月」というのは、日本を代表する作曲家、峰崎勾当の代表作の一つで、
演奏時間20分を超える大曲です。
それだけではなく、演奏が本当に大変なんです。
これは「手事もの」といわれる、中間部に長い器楽間奏部をもつ歌曲ですが、
まず、唄部分が、ほかの手事ものと異なり、ずっとスローなままです。
これを聴かせるには大変な唄の実力が必要です。
さらに手事、この曲の手事は、五段からなる大規模なもので、
しかも唄部分と激しい対照をなす、きわめて華やかなものです。
ここでは楽器の腕が厳しく問われます。
そして、演奏至難という以前に、この曲の格は非常に高く、
ただ「演奏できる」という程度の人間に演奏が許される曲ではないのです。
「残月」の箏の手付はいろいろあるのですが、
米川正夫氏の兄にあたる琴翁の手付は米川家系の演奏家では
ひろく演奏されています。
それだけ米川家ではいっそう大切でしょうから、なおさらです。
なお、 米川正夫氏の主催していた「桑原会」には
内田百閒なども参加していたようです。
内田百閒のほうもこちらでも面白いエピソードがあり、
宮城道夫と合奏した様子などを自作に書いていたりします。
なんにせよ、戦前のインテリの底力というものを感じます。
当時は専門だけではなく、趣味でも一流でこそ、ということが
あったのでしょうね、とても現代では考えられません。
「嗜む」趣味人は現代でも多いでしょうが、
上述の通り、玄人はだしのこういった知識人が
すくなくなかったというのは、見習うべき点でしょう。
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