2012年11月7日水曜日

ワーグナー「オランダ人」の様式的違和感

私は難しい台本が苦手で、ワーグナーはあまり聴かないのですが、
だからこそ歴史的録音はほとんど聴いていないため、
迷わず購入したのがこれ。

バイロイトの遺産~ワーグナーの幻想

 

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まず思ったのは、オケの精度という点では、
確かに現代のオケのほうが優秀かもしれない。
だけど、なんというか、映画音楽を聴いているような気がするんです。
メトの「指輪」の最新映像など、舞台の豪華絢爛さもありますが、
なにかハリウッド映画を見ている気分になります。

別に本場が一番というわけではないですが、
上記のBOXに含まれる歴史的演奏は、
メカニックの精度を語るのは何か違う気がしました。
それに、歌手は断然現代よりいいですね。
これはロッシーニなどと正反対のことなので興味深いです。

ところで、以前からどうも居心地のわるい作品があって、
それが「さまよえるオランダ人」なのです。
どうしても違和感がぬぐえない。
この素晴らしいBOXセットでもそれは変わりませんでした。

そんなとき、ピリオド楽器による、初稿による
「オランダ人」の演奏をみつけました。
ヴァイル指揮カペラ・コロニエンシスによるものです。



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ここで重要なのは、ピリオド楽器演奏ということよりも、
完全なる初稿を使用しているという点です。
詳しくはライナーノートに譲りますが、
ワーグナーは生涯にわたってこの作品を改訂し続け、
結果的に実用譜のもととなりえる稿を残さなかったのです。
これは「リエンツィ」も同様なのですが、
ワーグナー自身、ひいてはバイロイトで否定された過去である
「リエンツィ」と違い、オランダ人はバイロイトの演目にもなります
(「リエンツィ」をいくら否定しようと、原点であることには違いなく、
それを自覚しているからこそ余計に葬り去りたかったんでしょうが)。

そこで、出版に当たり、ワインガルトナーが一種の
架空の稿を仕立てたのです。
これはある程度仕方ないことだったとは思います。
なにしろこの作業はワーグナーの死後、1896年に行われたものですから。

ただし、当時としては「指輪」や「パルシファル」を皆が経験しており、
晩年のワーグナーの響きにあまりにもなじみすぎていたのでしょうね。
この初稿による演奏は、ある意味「リエンツィ」の影が見えるともいえます。
言い換えれば、グランド・オペラの要素が垣間見えます。

ワーグナーが生涯にわたって、10回以上の改訂をつづけたのも、
結局それが多かれ少なかれ影響しているように思います。
ただ、「リエンツィ」と決定的に違うのは、台本です。
「オランダ人」ではすでにワーグナーの世界が出来上がっています。
ただ、音楽は台本ほどには決定的にワーグナーではないと思いました。

つまり、ワインガルトナー版、つまり出版譜は、
あちこちの改訂を切り貼りし、ワーグナー自身でさえ
ついになしえなかった「体系的改訂」を
他人が無理やりやったものなんですね。
ああ、なるほど、と思いました。
どうも居心地わるい気分なのは、こういう背景があったわけですか。

たとえば、有名なゼンタのバラード 、
初稿ではイ短調(出版譜はト短調)ですが、
音を下げたのは、たぶん、ロッシーニあるいはマイアベーアの
グランド・オペラのソプラノではなく、
ドラマティック・ソプラノで映えるように、という配慮じゃないでしょうかね。
このバラード、いつ聴いても違和感を覚えていたのですが、
本来もっと軽やかな声質が前提だったように思います。
これを晩年のワーグナーの様式に無理なく溶け込ませるには、
本来なら全面的に書きかえなきゃだめでしょうね。

さて、「オランダ人」をどうあつかうか、ですが、
ワインガルトナー版ではやはり無理があると思います。
ワーグナー自身が不満であったとしても、統一感のある初稿を使うか、
様式的齟齬を承知の上でそれでもワインガルトナー版を使うか。

はじめに書いた通り、私は決してワグネリアンではありませんので、
生粋のワグネリアンの方はどうお考えなのか、興味のあるところです。

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