2012年7月24日火曜日

お経と尺八古典本曲

先日犬の三回忌の法事に出ました。
もうそんなになるんだなあ、と。


その法事の時、読経を聴いていて、

「レ〜ーレ チメーチメウー レ〜−レ」
(ファ/ソーソ ラ♭↑ーラ♭↑ラ♭↓ー ファ/ソーソ[矢印は微分音])

という、尺八古典本曲に頻出するフレーズがあって興味深かったです。
もともと普化宗で読経や座禅の代わりだったのが尺八古典本曲ですから、
宗派は違えども、なにか関連あるか、
日本人の嗜好に合うフレーズなのか。

特に「チメーチメウー」は重要で、
関西系では素朴に演奏されますが、
琴古流本曲、東北系本曲、津軽根笹派など、
諸流派ではこの音型が独自に装飾されます。
注意深く聴かないと元が同じとは聞こえないほどにそれぞれ
特色のあるフレーズになっています。
この法事で聴いたのは、関西系に近い、
無装飾の素朴な基本形でした。

また、いつだったか忘れましたが、読経の最初、最後が

「レーレロー」
(ソーソレー)

という完全四度下降音型で、東北系の尺八古典本曲の
典型的な始まり方、終わり方で驚いたこともあります。

ただ、よく考えてみれば、下降四度というのは、
近世邦楽にとっていわば音楽の「核」ですので、
偶然でもなんでもなく、そういった共通要素があるのは
むしろ自然なことなんですね。
やはり読経というのも音楽なのだと強く意識しました。

こういうことが考えられるくらいには
法事も冷静に迎えられるようになりました。

2012年7月14日土曜日

オペラにおける視覚の重要性

なぜ今更こんな当たり前のことをテーマにしようと思ったかと言いますと、
グノーの「ミレイユ」のBDを観て痛烈に感じたからです。

グノー:『ミレイユ』全曲 N.ジョエル演出、ミンコフスキ&パリ・オペラ座、ムーラ、カストロノヴォ、他(2009 ステレオ)

(Amazon) (HMV) 


グノー はマスネ以前におけるフランス・ロマン派のオペラ作曲家として
重要な位置を占めていますが、映像は珍しいです。
「ファウスト」以外は音盤も珍しいといった具合で、
ですから、ミンコフスキが指揮した映像ともなれば断然「買い」となります。
 
HMVのリンク先にはいつの間にかあらすじが載せられていますが、
私が買ったときは何もなかったので、本当に何も知らない状態で
このBDを観ました。

話としてはベタもベタ、愛し合うカップルが男の貧しさゆえ、
裕福なヒロインの親に結婚を反対される、というもの。
さて、結末は?というところなのですが、
よくもこんな単純な話を全5幕2時間半もの
大作に仕上げたものだと感心します(笑)。

しかし、この上演、南仏の美しさが際立っていて、
夕暮れ時や夜、明け方、真昼、といった各時間による違い、
麦畑の美しい情景、夜の不気味さ、砂漠の容赦ない日差し、
とてもすばらしく視覚化されています。
とても舞台の上とは思えないほどにすばらしいものです。

台本のあらすじは単純ですが、たとえば収穫祭などでは
喜ばしい踊り、第3幕では嫉妬に狂ったウリアスや、
その後の逃亡での夜の不気味さ、
終幕では、宗教音楽の大家でもあったグノーらしい幕切れと、
なかなかに多様な音楽を作曲できるように
下準備はされていると感じました。
このあたりは台本作家は十分に役目を果たしています。

実は、以前音盤だけで聴いたときには、
正直この作品は退屈だったのです。
この映像は確かにミンコフスキのメリハリの利いた音楽作りの
すばらしさもありますが、それ以上に舞台の美しさが
ひときわ目立ったものでした。


この作品は南仏の風景の美しさと一体になったとき、
はじめてその音楽が活きてくるものだと痛感したのです。
その意味ではジョエルの演出は、ミンコフスキの指揮とともに
大いにたたえられてよいと思います。

この作品は、ほかのどんなオペラよりも、
映像が大切だと思います。
音盤で退屈な思いをされた方にこそ、
この映像を観ていただきたいと思います。

2012年7月8日日曜日

ヘンデルのカンタータにおけるピッチの問題

Brilliant Classics レーベルにおいて、Contrasto Armonico演奏による、
通奏低音のみの伴奏のカンタータを含めた
「完全なカンタータ全集」が始動しています。
すでに第4集までリリースされ、お耳にされた方も多いと思います。

・Vol.1 (Amazon) (HMV)
・Vol.2 (Amazon) (HMV)
・Vol.3 (Amazon) (HMV)
・Vol.4  (Amazon) (HMV)



さて、この全集、2つの点で大きな意義があります。

1.上述のとおり、通奏低音のみの伴奏のカンタータも全て含むこと
2.異なるピッチの共存による演奏であること、
また、第4集まではローマピッチ(392Hz)ですが、
今後は作曲場所、初演場所などを考慮してピッチも配慮するとのこと

1はとりあえずそれ以上付け加えることはないのですが、
通奏低音のみのカンタータの録音はあまりにも少なく、
イコール「あまりおもしろくない」と変な先入観がありました。
しかし、とんでもないことです。
第1集には通奏低音のみの伴奏のカンタータが
3曲入っていますが、とても魅力的な作品です。

そして重要なのは2の方なのですが、
当時ローマでのピッチは、上述のとおり
392Hzと、ヴェルサイユなみに低いピッチでした。
そしてややこしい事情もあります。
当時ローマの教会は管楽器を禁じていたため、
ローマ独自の管楽器奏者・製作者はいなかったそうなのです。
貴族が自分たちの楽しみのための
セレナータやカンタータなどで管楽器入りの作品を演奏するとき、
ヴェネツィア出身の奏者を雇っていたそうなのですが、
ヴェネツィアのピッチは皆さんご存知のとおり
通常のピッチより高い440 Hzでした。

つまり、管楽器が入るローマの作品においては、
バッハの教会カンタータにおける
コアトーンとカンマートーンの共存のような問題が発生していたわけです。
驚くべきことに、この問題は今まで提起されたことはなかったのです。
このあたりがバッハ研究とヘンデル研究の人数の差なのでしょうかね…。

というわけで、この第1集においては、弦楽器および歌手はローマピッチ、
管楽器はヴェネツィアピッチで演奏されています。
具体的に言うと1音の差があることになります。

さて、これがどのように影響してくるかが問題です。
でないと単なる学者の自己満足です。
この共存を当てはめた演奏は
第1集では「Da quel giorno fatale (Delirio Amoroso)」にて聴けます。
まず、Introduzioneでさっそく影響が出ます。
現代譜においては嬰へ音のロングトーンがオーボエにあるのですが、
容易に想像がつくとおり、バロックオーボエでは
この音は朗々となる音ではありません。
しかし、上述のようなピッチ共存で演奏すると
なんのことはないホ音のロングトーンになります。

ヘンデルはイギリスでオペラを書くときには、
キャストの得意な音域を把握し、
特に輝かしく歌える音を主音または属音にしたアリアを
見せ場に持ってくるよう配慮する、
極めて演奏効果には慎重な人でした。
とすると、このピッチ共存は極めて歴史的に忠実であるだけでなく、
説得力があります。

Brilliant Classics という廉価レーベル故、
忌避している方も大勢いらっしゃるかと思いますが、
演奏はとてもしっかりしています。
将来的にはBOXになるのでしょうが、
1枚1枚追っていく価値のある全集だと思います。

あと付け加えますと、Brilliant Classics は困ったことに
しばしば歌詞は原語のみ記載という
私のような語学音痴泣かせなことをするのですが、
この全集にはしっかり伊英対訳が付いています。
その点でもご安心ください。