2012年6月4日月曜日

S.クイケンは私よりよほどわが師に忠実だ

S.クイケン指揮のバッハ:ヨハネ受難曲の再録音を聴きました。




バッハ:ヨハネ受難曲 クイケン&ラ・プティット・バンド(2SACD)
(Amazon) (HMV)

旧録音との違いは、最近のクイケンの一連の録音と同じく、
OVPP(合唱部も1パート一人で歌う)によるものということです。

クイケンはこれまでバッハの宗教作品をOVPPで録音し、また継続中です。
Challenge Classics にはこれまでに



モテット集 (Amazon) (HMV)



ロ短調ミサ (Amazon) (HMV)



マタイ受難曲 (Amazon) (HMV)


と、録音しており、また、Accent にはカンタータを同じくOVPPで
全20枚予定で録音継続中です。

正直、リフキンなどのOVPPの演奏を聴いたときには、
「なるほど、こういう学説もあるのだな」という
学説の実証くらいにしか思えなかったのですが、
クイケンとLPB(ラ・プティット・バンド)の最近の一連の録音は、
しっかりと演奏するヴィジョンがあって、その手段として
OVPPを用いていることがはっきりわかります。
学究的というよりは、すばらしい音楽ということがまずあるわけです。

唐突ですが、わたしの尺八の師匠には、よく同じ注意をされます。
「大きな音を出すことは大事だが、コントラストが出せないようでは無意味」と。
弱音があってこそ強い音も活きるし、逆もまたしかりなのです。
このことをクイケンとLPBのOVPP演奏を聴くと思い起こすのです。

特に、ヨハネ受難曲は合唱の担う役割が大きく、
果たして満足感が得られるのか、実際に聴いてみるまで
少し心配な部分もありました。
それは杞憂でした。
静かな祈りと劇的高揚が十分に表現されています。
少人数ゆえの精度の高さもあります。
なぜこんなことが可能なのでしょうか?

その答えは、先ほどのわたしの尺八の師匠の言葉にあるわけです。
もともと、バロック音楽はコントラストの音楽で、
漸強、漸弱といった要素はないわけです。
あるとしても長く伸ばす音のメッサ・ディ・ヴォーチェくらいでしょう。
このコンビのOVPPによるバッハ演奏は、基本が静謐な祈りなのです。
ですから、声を張り上げて絶叫しなくても
相対的に強音が対比されるわけなんですね。

なんということでしょう。
私の尺八の師匠の注意をよく守っているのは、
クイケンのほうではありませんか。
合唱の役割の大きいヨハネ受難曲を聴いて、
師匠の言葉の意味がわかった気がします。
絶叫は必要ないのです。
必要なのはむしろ静謐な祈りを純度を高く表現することなのです。

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