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細川氏の「リアの物語」をNHKで観た時は本当に衝撃で、それから出ている音盤はことごとく蒐集していますが、最近の氏の変化に関していろいろと考えるところがあります。
音楽において後進国であるドイツが、自分の有利になるように、あたかもバッハ以前の音楽が原始的であったかのような(しかも、長い歴史上でピンポイントで短期間優位だった特定ジャンルがあたかも西洋音楽本流であるかのような)イメージ戦略に成功した結果、ドイツ教養主義の影響がいまだに残っている日本の一部の音楽愛好家には、その呪いの効果が持続しています。
それはともかく、バロック時代、きちんと後進国である自覚のあった彼らは、色々模索していました。結果的に有効と考えたのはルター派のコラールだったのは間違いないでしょう。
スウェーリンクが一応宗教作品を主題にした変奏曲に先鞭をつけたとはいえ、大きく発展させ、多様化させたのは間違いなくシャイデマンであり、スウェーリンクの偽作の多くが実はシャイデマンが作者だったことなども含め、現在では名実ともにシャイデマンが北ドイツオルガン楽派の祖とされていますし、あるいはその関連として、ドイツ独自のカンタータも発展したわけです。
もちろん、プロテスタントであったことが重要な原因です。会衆が礼拝に参加する。そして歌う。
それなくしては、オルガン作品も宗教作品も成り立たなかった。ドイツはドイツの独自性をそこに見出し、それを基盤に各国の音楽を吸収したわけです。
日本はどうか。私が西洋音楽で好むのは、なぜスラブ語圏や東欧や北欧だったりすることが多いのかといいますと、別にひねくれているわけではなく、邦楽に関わっている人間として、民族音楽との関わりを一応真剣に考えているのです。そうした場合、グリーグ以降の「辺境」の音楽は非常に刺激される部分が多いのです。そうした観点がないと単に変人に見えるのでしょうけれども違うのですよ(汗)。 グリーグの前衛的な試みは国民楽派から二十世紀の周辺地域の作曲家に多大な影響を及ぼし、それは細川氏とて例外では無いとさえいえます。グリーグに関しては後日項目を改めます。
で、細川氏。彼の80年代の音楽はラッヘンマンの影響も強かったですが、結果的には上手く作用していたところもあるかもしれません(あくまで邦楽関係者視点)。
断章Ⅰは、三曲合奏でありながら、伝統と隔絶されていて、最初は、まあ洋楽の作曲家ならこんなものか、と思っていましたが、それからしばらく、彼は確かに日本文化を意識していましたし、それが安直な転写でないところはいいのかもしれない、と考えたとき、断章Ⅰへの考え方は変化しました。
細川氏は「意図的な誤読」という表現を遣っていますが、創作者として、とくに西洋音楽の作曲者であることを考えた場合、とても適切な姿勢だと思いました。そして、件の「リアの物語」はある意味、ゴールともいえたのかもしれません。完璧といってよかったと思います(あくまで邦楽関係者視点)。
だからこそ、彼の音楽は変わり始めたのかもしれません。当面の目標を達成してしまったのですから。
ただ、どうも彼が最近やっていることは、グリーグから国民楽派への先祖がえりに思えます(しつこいようですが、あくまで邦楽関係者視点)。音楽的素材というより、音楽外の素材で国民的アイデンティティを表明しつつも、音楽的にはもう純粋に西洋化へと向かっているような。管弦楽法は非常に洗練されてきていますが、それは、あえていままでやらなかっただけなのかもしれません。
松平頼則氏が空前絶後なのはまさにそこなのでしょうね。
頼則氏の作品解説で音列と雅楽音階の関連の説明で、雅楽部分の説明が間違っていることが少なくないのですが、仕方ないですよ。西洋音楽と雅楽の双方に通じている専門家なんてどれほどいるのか。おそらく雅楽部分は参考文献を参照しているのでしょうけれども、実践しないとわかりにくい部分はどうしてもありますので。
細川氏に関する批判ではありません、断じて。彼は西洋音楽の作曲家なのであり、西洋音楽として高品質の作品を書いているなら邦楽関係者としての意見なんて聞く必要もないのです。
ただ、「リアの物語」を聴いてしまったので、とても惜しいという思いがどうしてもあるのです。身勝手なのは重々承知ですけれども。
どうしてこうなるのか、考えた場合、最初に書いた、同じく西洋音楽的には後進国であるドイツに思い至ったという訳です。つまり、コンプレックスでしょうか。
独自の芸術的価値のある伝統音楽があるといいながらも、それを普遍化するのは至難です。だからこそ私は、グリーグやヤナーチェク、バルトーク、シマノフスキには、純粋西洋音楽愛好家以上の評価をしているともいえます。松平頼則氏は確かに錬金術を考案しましたが、それは誰もが扱えるわけでもないのは、作品解説でさえ躓いてしまうところから明らかですし。
私がこういう観点なのは立場上仕方ないことなので、純粋な西洋音楽愛好家で細川氏のこのオペラを気に入っている方は、くだらねえ、と一蹴してください。