2014年1月7日火曜日

野平一郎による松平頼則:ピアノ作品選集

本日発売された、野平一郎氏演奏による松平頼則のピアノ作品選集です。
さっそく聴いてみました。
松平頼則についてはこちらで過去に少し書いたことがあります
(学校での邦楽教育の教材と魔術師・松平頼則氏)。



(Amazon) (HMV)

収録曲は以下のとおりで、およそ75分、たっぷり収録されています。

・前奏曲 ニ調(1934)
・前奏曲 ト調(1940)
・6つの田園舞曲(ca.1939-45)
・リードI(呂旋法による)(作曲年代不明)
・リードII(律旋法による)(作曲年代不明)
・ピアノ・ソナタ(1949)
・6つの前奏曲 主題と変奏の形式による(1975)

このように、おおよそ作曲年代順に並べられています。
なにしろ膨大な作品を残し、初演を待っている作品も数多く、
いまだ全貌が明らかになっていない松平頼則だけに、
こうした試みは興味深いものがあります。

ピアノを弾いている野平一郎氏は、松平頼則に作品を依頼し、
その結果「ピアノ協奏曲第3番」が、作曲者死の年、2001年に
松平頼則93歳という年齢で生まれました。
この作品は、 野平一郎氏の校訂と独奏により、2010年にようやく初演されたもので、
ご記憶の方もあるかもしれません。

野平一郎氏はそうしたこともあり、松平頼則作品はかなり前から
まとまった録音を意図していたようなのですが、
自身ピアニストとしても活躍していた松平頼則のピアノ作品はなかなかに手ごわく、
ようやく今回リリースに至ったということです(過去に録音しながら没にしたこともあったとか)。

最初の2曲の「前奏曲」は本当に初期の作品ですね。
松平頼則は「前奏曲集」を企画していたようですが、
当時の作曲者は西洋の調性と日本の旋法にどう折り合いをつけるか、
結局回答を見いだせず、残された一曲が後者の前奏曲だそうです。

後年の松平頼則を知るものにとってはかなり意表を突かれる音楽です。
フランス音楽の影響は明らかです。
ピアニストとしても活躍した松平頼則にとっては、
フランス近代音楽はかなり興味をひかれるものだったのでしょうね。

「6つの田園舞曲」「南部民謡集」と共通した語法が感じられます。
ちなみに「南部民謡集」は録音がありますので、参考までに。



松平頼則作品集II/奈良ゆみ

(Amazon) (HMV

松平頼則はこう述べています。

「東北地方の民謡をバルトークのように採取している人に会った。
『南部牛追唄』を見せられたとき、思わず、私には伴奏の最初の音が浮かんだ。
それはsi♭→miなのである。そして『牛追唄』の開始音Faに実に自然に流れ込む。
私の半ば無意識に択んだ二つの音の関係は増4度であった。」
(上記ディスク解説から一部引用)。

つまり、当時フランスの影響下にあった松平頼則は、
民謡の中にドビュッシーを「発見」したということです。
「6つの田園舞曲」も、「南部民謡集」のように、
フランス音楽と日本旋法の折り合いをつけるのに、
民謡に手がかりを得たようです。
そういうわけで、これは当時の松平頼則の模索の記録の一つと言ってよいでしょう。

「リードI(呂旋法による)」「リードII(律旋法による)」の、
正確な作曲年代は実はよくわかっていないのですが、
この位置に置いたことに関しては長くなりますので、
詳しくはライナーノートを参照してください。
呂旋法(あるいは呂旋)、律旋法(あるいは律旋)は、雅楽の音楽用語です。
移動ド式に書きますと以下のような音階です。

 ・呂旋法(あるいは呂旋)
ド・レ・ミ・ソ・ラ・ド

・ 律旋法(あるいは律旋)
ド・レ・ファ・ソ・シ♭・ド

ここで音階の中の音程関係に注目してください。
呂旋法(あるいは呂旋)においては
完全五度完全四度長二度短三度長三度、が、
律旋法(あるいは律旋)においては
完全五度完全四度長二度短三度、が
それぞれ重要な音程となっています。

実際の雅楽でも、「移動ドで書くと」と述べましたように、
転調(中心音(宮)の移動)、移旋(雅楽では楽器の音程が狭いため、西洋音楽的「移調」はなく、
同じ旋律の音高を変えた場合に旋律は必然的に変形します)、臨時音など、
さまざまな理由で基本以外の音は使われますが、あくまで重要なのは
上記の音程関係ということはできます。
この2曲の「リード」においては、それぞれ曲名に付された旋法に含まれる音程関係、
これを意識して聴くと面白いと思います。

「ピアノ・ソナタ」は、1949年という作曲年は信じられないほど、
語法が以前の作品群より洗練されています。
そして、聴くためにはかなりの集中力が必要とされます。
まさに初期の集大成にふさわしい作品です。
演奏技巧的にもかなりな難曲のようで、
作曲者が代案(ossia)を提示している部分もあるようです。

無窮動的な第3楽章に時々現れる休止がかなり印象的です。
このほんのわずかな間が、より緊張感を増すことになっています。

「6つの前奏曲 主題と変奏の形式による」は、いよいよセリーによる作品です。
この作品を構成する6曲の演奏順は任意ということになっており、
ここで野平一郎氏は「第3曲、第1曲、第4曲、第2曲、第6曲、第5曲」
という演奏順序を選択しています。

第1曲で提示されるセリーは以下のとおりです。

「a-gis-fis-es-f-g-e-b-a-h-cis-d」

ここで、上述の雅楽の2つの旋法における重要な音程関係として
指摘したものを参照してください。
このセリーは、「fis-es」「e-b」を例外として
それらの音程関係で成り立っているのです。
さらには、強く弾く音、伸ばす音、等で、特に
完全四度、完全五度、長二度、が浮かび上がるようになっています。
結果として、セリーに依る音楽を聴いていながら、
記憶の底では雅楽の音階を呼び起こされるという不思議な感覚があります。
これが「セリーと雅楽の融合」として有名な松平頼則の
マジックの種明かしになります。

実際、私はこのCDを聴いて、「ピアノ・ソナタ」で極度に集中力を要したため、
かなり消耗した状態で「6つの前奏曲 主題と変奏の形式による」 を聴いたのですが、
前衛語法によるこの作品を聴いて、かなりリラックスした気分になり、
くつろいだ印象を受けました。
本当に作曲者の魔術には感服です。

こうして考えますと、最初期の「前奏曲」で始まり、セリーを使った「前奏曲」で終わるという、
対比としても面白いプログラムだと思います。

まだまだ膨大な作品が残されていますし、何より野平一郎氏にとっても重要であろう、
「ピアノ協奏曲第3番」などもあります。
これを第一歩として、続編を強く期待したいと思います。

2014年1月2日木曜日

レットベリによるスクリャービン:ピアノ作品全集 その2

みなさん、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

さて、年末にご紹介した、レットベリの「作品番号付き」の
スクリャービンピアノ作品に限定したBOX  のリリースから5年。
昨年末にレットベリは「作品番号なし」のピアノ作品をまとめて録音し、
リリースしました。それがこちらです。



A.スクリャービン[1872-1915]&J.スクリャービン[1908-1919]:遺作集

(Amazon) (HMV

まず冒頭で、レットベリはなぜ5年前の「全集」を
「作品番号付き」に限定したか、理由を述べています。
『作曲者が意図したとおりに世に出したかった』という簡単な理由でした。
彼女はその録音に際し、演奏会でもスクリャービンを弾き続けたそうです。
彼女の当時の作曲家へのリスペクトだったのですね。

しかし、その後彼女は、自分でも驚きだったと語っていますが、
「作品番号なし」の作品も、非常に優れており価値のあるものだと思うに至ったようです。
そして、5年前の「全集」録音時と同様、演奏会で何度も演奏し、
その末にこれらの作品も世に出すことを決意した、ということです。

スクリャービンの作品番号なしの作品の録音自体は、少ないとはいえ
皆無ではありません。何枚か集めれば一通り聴けるようなくらいには音盤はあります。
しかし、このレットベリの新譜のように、それだけに焦点を合わせたものは貴重です。
さらには、このCDには、世界初録音が3曲あります。
それには理由があり、1997年に初めて校訂されたものだからです。
それらは、「スケルツォ 変ホ長調(1886)」、「スケルツォ 変イ長調(1886)」、
「ピアノのための小品 変ロ短調(1887)」です。
従来の作品表には、確かに「スケルツォ」は欠けています。
このジャンルにもスクリャービンは作品を残していたのですね。

演奏は、やはり冴えた技巧によるもので、ひんやりとした抒情が心地よいです。
ベタベタとしたところがないのは彼女の美点だと思います。
そして、こうやって初期作品をまとめて聴くことにより、
スクリャービンがいかに急速に作風を変えたり、書法を充実させていったか、
はっきりと認識することができます。
これらの作品は、単独で考えた場合、決して無価値なものではありませんが、
作品を出版するようになった頃には、彼自身にとっては未熟なものに思えたのでしょう。

ですが、たとえば 「ソナタ 変ホ短調(1887-1889)」の第1楽章は、後年改訂し、
作品4の「アレグロ・アッパショナート」 として出版していますし、
スクリャービン自身も決して無価値とまで考えていたわけではないと思います。

そして、ホロビッツの得意レパートリーの一つとして有名な、
あるいはスクリャービン自身の自作自演録音でも有名な、
嬰ニ短調練習曲(作品8-12)の異稿も収められています。
こちらも近年かなり取り上げられるようになってきていますので、
お聴きになったことがある方も多いと思います。
これは出版の際、諸説あって定かではありませんが
(出版者のベリャーエフ自身とライナーにはありますが、リムスキー=コルサコフとの説もあり)、
とにかく他者に意見を聞き、最終的に出版したのが現行版で、
この異稿はその際選ばれなかった方です。
私の考えるに、これは劣っているというより、現行版の方が
"Patetico"(悲愴に)という発想記号により合致したほの暗い曲調だからではないかと。
異稿の方は、結構長調に傾く場面があって、意外に救いがある感じです。

さらにはこのCDにはスクリャービンの最年少の息子、ユリアンの
4曲の前奏曲も収められています。
ユリアンは不慮の事故により11歳で水死してしまったのですが、
ここに収められている彼の作品は驚くほど父の影響が見え、早熟です。
レットベリは「スクリャービン自身の未発表作品と言われてもわからない」とまで
述べていますが、それはさすがにほめすぎです。
ただし、10歳になるかならないかの少年の作品として考えると、やはり驚くほかなく、
惜しい才能が失われたものだ、と感じざるを得ません。
ユリアンの作品はめったに録音されませんし、こういう形で録音されるのも面白いですね。

それにしてもレットベリ、とうとうスクリャービンの独奏ピアノ作品は全て録音しましたね。
かつてアシュケナージがショパンの作品全集を完成させたとき、「スクリャービンは?」
と尋ねられ、「スクリャービンに関しては十分に義務を果たしたつもりだ」と答えた時と、
時代もずいぶん変わったこともありますし、レットベリ自身がここまで献身的に
スクリャービン作品に情熱を注いだこともあるでしょう。
スクリャービン愛好家にとっては本当にありがたいことです。