2012年8月4日土曜日

マリア・カラス「30のオペラ全曲盤」BOX

実を言うと、長いことマリア・カラスは苦手でした。
主に2つ理由があったのではないかと思います。

1.オペラを聴き始めたばかりの頃に聴いたこと

最近まとめてカラスを聴いて感じたのですが、
その声そのものよりもなによりも、役作りが非常に上手いということ。
そのオペラがどんな作品か、その登場人物がどのような役柄か、
私自身がよくわかっていなかったため、この点において
役作りの巧みさということがまったくわからなかったこと。

2.ステレオ録音しか聴いていなかったこと

そしてもうひとつ、カラスの全盛期を過ぎた時期の
録音しか聴いていなかったこと。
今回モノラル期、1949年から1957年の録音を聴いて、
彼女の全盛期が驚くほど短かったことがよくわかりました。


今回まとめて聴いたのはこれです。

マリア・カラス 30のオペラ全曲集(64CD+1ボーナスCD+1CD-ROM)


(HMV) (Amazon)

今回の商品はあまりに価格差がありすぎるので、
安いHMVを先にリンクしました。

さて、とりあえずこれだけ浴びるほどにカラスを聴くと、
とりあえず昔からの苦手意識はとりあえず払拭でき、
幾分公正な判断ができるようになったと思います。

すぐれたベルカント歌手のひとりであるということは、
やっとわかってきました。
それに、カラス(やほかの歌手たち)が復活させなければ、
ロッシーニやドニゼッティのオペラは
未だに一部の作品だけしか聴くことができなかったでしょう。

ただ、私はロッシーニやベッリーニに関しては、
カラスの優れた役作りを認めつつも、最上というには戸惑いがあります。
様式的にはやはりもっと軽い声質で、装飾を聴かせる歌手のほうが
しっくり来ると思います。これは豪華な共演している他の歌手にもいえますが。
ドニゼッティはアンナ・ボレーナあたりは難しいところですね。
たしかに伝説的な演奏だけあって圧倒されたのは事実ですが、
ドニゼッティ作品として、ということであるとどうなのだろう?と。

ヴェルディやプッチーニに関しては、一部の作品を除いては、
こうした不満を感じることはなく、
共演している ディ・ステーファノやゴッビという名歌手、
セラフィンやヴォットーといった指揮者ともども、
すぐれたオペラ全曲の歴史的録音として楽しめました。

一部の作品を除いて、と述べましたが、
たとえば「トロヴァトーレ」。
カラスがあまりにも圧倒的な存在感があるものですから、
ヴェルディ自身この作品の中心軸として考えていた
アズチェーナより存在感があるのはこまりますよね。
レオノーラの役はつくっているのですけれど、
まあこれはいかんともしがたい。
ピリオド楽器による「トロヴァトーレ」 について書いたとき、
アズチェーナだけ異質だったのをいぶかったものですが、
よく考えてみるとやはり意図的だったといえるのかもしれませんね。

そしてカラヤンの指揮も、この作品の録音に関しては
作為的なところが多少鼻につきました。
旋律美という点においてはおそらくヴェルディでも随一と思われる
この作品を、素直に聴かせるというのは意外に難しいのかもしれません。
セラフィン盤が「トロヴァトーレ」の名盤とされるのはこういうところかな、と。

逆に圧倒的だったのはマクベス夫人です。
これは全曲盤としても、 デ・サーバタのキビキビした音楽作りもあって
すばらしいのですが、カラスの歌という点でも最上のものの一つでしょうね。
ヴェルディはこの役について、マクベス夫人を歌った歌手を例に出し、
こう述べたということです。決して美声とはいえないカラスにとって、
まさしくうってつけの役だということがわかります。

「タドリーニはたいへん美しくて立派な歌手だが、私はマクベス夫人は
醜くて邪悪に見えるべきだと思う。タドリーニは完璧に歌うが、
マクベス夫人は歌ってはならないのだ。
タドリーニはすばらしく透明で力強い美声をもっているが、
私はマクベス夫人の声はむしろしゃがれていて、
暗い響きがするべきだと思う。
タドリーニの声は天使の声のようにきこえるが、
私はマクベス夫人の声はもっと
悪魔的にきこえるべきだと考える。」

(ヴェルディ全オペラ解説 1[高崎保男]より引用)

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もうひとつ、作品自体のことで。
ロッシーニなどでは最近の専門の歌手のほうが
絶対的にいいと思いましたが、
スポンティーニやグルックに関しては、これはこれでありだな、と。
マイアベーア→スポンティーニ→グルックとさかのぼっていくと、
不思議なほど違和感がありません。
まあ、マイアベーアの無国籍風音楽
(フランス・グランド・オペラの代表的作曲家でありながら!)と、
フランスの伝統に基づいたスポンティーニとグルックは、
かなり違うはずなのですが、
妙に扇情的なその音楽は本質的な部分で似ているのかも、と感じました。
そういう音楽では確かにカラスは圧倒的な存在感を示すので、
そういう意味で、「これはこれであり」と思ったわけです。