2012年1月31日火曜日

マイアベーアは今こそ演奏されるべき!

一応クラシック音楽を聴くことを趣味としているものとしては、 以前からずっと感じ、そして避けられぬことがあるとの想いを強くしてきたことがあります。 それはマイアベーアです。
私は、作曲家というより19世紀の超人としてリストがかなり好き、というか傾倒しているのですが、 まあリストのことはいずれ機会を改めるとしまして、リストを通じてマイアベーアにかなり興味を持ちました。
リストは有名無名問わず、音盤のなかった当時において、ピアノ編曲を通じて いろいろな作品を普及させることを使命として自覚していたフシがあり、 当時オペラ界を席巻していたマイアベーアは当然いろいろ編曲があるだけではなく、 オルガン作品の傑作、「『アド・ノス、アド・サルタレム・ウンダム』による 幻想曲とフーガ」 の主題はマイアベーアの「預言者」の中の主題なのです。
リストのオルガン作品全集はCD5枚で収まるので、決して損な買い物ではありません。 ピアノ作品に比べると質の高さが高い次元で保たれているのです。 いくつか紹介しますが、ハーゼルベックのものは作曲当時のオルガンや奏法にこだわったもので、一番おすすめできるものです。


(HMV)

また、ヴェルネによるものは作曲年代順に整然と並べており、これも興味深いものです。ピアノとのドゥオがオマケであるので6枚組です。

(HMV)

まず、このリストの作品に圧倒されました。 このような作品を書かせる霊感を与えたマイアベーアは聴かねばならない、 そう想う気持ちは強まるのですが、何しろ音盤が少ない。 でも、意を決して体系的に聴き始めることにしました。 まず、入手の容易なNAXOSから出ている2つのオペラ、
「セミラーミデ」


(HMV)

「エジプトの十字軍」から。

(HMV)

何しろグランド・オペラの帝王という一般的イメージしか持ち合わせていなかったので、
マイアベーアがドイツ人で、イタリアで修業時代にイタリア風に改名し、
イタリア・オペラをかなり書いているという事実すら知らなかったうえに、
かなりロッシーニの影響が濃いことに驚かされました。
考えてみれば当時のイタリアでそれは不可避のことですね。
なにしろまだレチタティーヴォがセッコだったり、カストラートを使ったりと、
本当にマイアベーアなのかと思いますが、「エジプトの十字軍」はブレイクしたきっかけの作品で、
さすがに聴きごたえがあります。
こちらは、懇切丁寧なライナーと美麗イラスト入りのブックレットでおなじみ、
OPERA RARA レーベルからもリリースされていて、
私が買ったときは4枚組で2千円くらい(当然新品)でしたが、今はどうでしょう?



(HMV)

各地での上演での異稿などもすべて収めているのもいつものOPERA RARA レーベルの流儀。
まずこれではまり始めました。

では、グランド・オペラ4作品にいよいよ入っていこうとして、かなり苦労しました。
正規録音のある「ユグノー教徒」「預言者」も、とっくに廃盤、
「悪魔ロベール」「アフリカの女」は放送音源のものしかありません。
とりあえず、現時点でお勧めできるものを紹介します。

・「悪魔ロベール」
グランド・オペラ第1作。当初は「エジプトの十字軍」 を改作しようとしたようですが、
ロッシーニ(またしても!)の「ウィリアム・テル」 を観て、根本的に初めから
創作しなければならないと痛感し、この作品が生まれました。
リストの編曲のおかげで初めて聴いた時でもなじみのフレーズが多く、
やはり紹介者としてのリストの偉大さをも同時に感じました。

ディスクとしてはいくつかありますが、現時点ではこれでしょう。
 

(HMV)

気を付けていただきたいのは、ジャケットやパッケージは同じなのですが、
この最新のものを買わないと2枚目で音楽が一部欠損していることです。
だからこそ再プレスしたのでしょうが、分かり易く見た目を変えてほしいですよね。
これはパリでの1985年の話題になったプロダクションの放送音源で、
まあ贅沢をいえばキリはないのですが、鑑賞に耐える音質はあると思います。
出演者は豪華の一言で、素直に楽しめると思います。

・「ユグノー教徒」
グランド・オペラ第2作。有名なユグノー教徒の虐殺がテーマで、
壮大な歴史絵巻と、歌詞からだけでも伝わる恐ろしく効果的な舞台効果は、
この作品をもってマイアベーアはマイアベーアになった、ということだと思います。
スタジオ録音が二種類あります。


(HMV)
ボニング盤

サザーランドはあまり好きではなかったのですが、ここではかなり健闘、
といいますか、後述しますが、彼女はこうした作品の方があっているのかもしれません。
Diederich盤はまだ届いていませんが、評判はこちらの方がいいので楽しみです。

 ・「預言者」
 これは間違いなくマイアベーアの最高傑作です!
 恋人を救うために新興宗教の預言者になるが、恋人に大量虐殺を非難され
挙句肝心の恋人は自殺、宗教団体幹部の裏切りの画策、最後には男は火薬庫に
火を放ってすべてを破壊する、という、あらすじだけでもゾクゾクきます。
これは絶対にいつか舞台で観たい!
この第1幕で流れるコラールが「アド・ノス、アド・サルタレム・ウンダム」なんです。
その禍々しさ、不吉さ、心から離れません。
この作品を全曲聴いて、リストがあの幻想曲とフーガをあれほどの大傑作に
書き上げたのは、この作品の持つポテンシャルと釣り合っていることがわかりました。
リストもすごいし、マイアベーアもすごいんですよ。
現在唯一のスタジオ録音はこれです。

同じものなのですが、登録上どちらか安い方はその時々で変わると思いますので、
両方載せておきます。

 「アフリカの女」
グランド・オペラ第4作にして最後の作品。
マイアベーアは上演を観ることはありませんでした。
この作品は台本が前3作よりかなり落ち、それは当時から指摘されており、
結局マイアベーアが忘却の彼方へと沈むきっかけになったともいわれます。
ですが、音楽自体は決してスポイルされていませんので、そこは大丈夫です。
ドミンゴが出ているDVDもあるのですが、リージョンコードの問題で
どれを紹介してよいかわからず、後日ここは編集して紹介します。

とりあえず音盤を。


(HMV)

原典主義者ムーティらしく、オリジナル5幕仕立て(上演では3幕仕立てにされることが多い)。
どうせならフランス語歌唱ならもっとよかったのですが、ここではイタリア語歌唱です。
イタリアで活躍した作曲家がパリで上演したオペラではこの2重原典は避けられない運命です。
どちらも原典版なんですね。不思議な感覚ですが。

さて、グランド・オペラ4作以外に、どうしても紹介したいオペラが一つありますので、それを。
Meyerbeer: Dinorah / James Judd, Philharmonia Orchestra

(HMV)

この作品はオペラ・コミックなのですが、その旋律美にかけては追随するものはありません。
無名作品ですが、ぜひ聴いていただきたい名作です。

そろそろ総括しましょう。
マイアベーアの行く先々でロッシーニが存在しました。
そしてマイアベーアに不可避の影響を与えたのです。

ロッシーニのセリアが再評価されだしたのはそんなに昔の事ではありません。
ごく最近の事です。
というのは、ヴェルディやワーグナーなどに最適化されたドラマティックな声では
ロッシーニは歌えないのです。
古楽唱法から時代を順行してロッシーニ時代に合わせると、自然に歌えるのです。
古楽運動の副産物といってよいと思います。
そしてこれは、ロッシーニから多大な影響を受けたマイアベーアにも当てはまるのは当然です。
二人とも、初期にはカストラートを使う作品があることが象徴的ですね。

適切な歌唱法を身に着けた歌手が増えた現代でこそ、
ロッシーニはもちろん、マイアベーアは適切に上演できると思います。
「今更」ではないのです!今こそマイアベーアは演奏される環境が整っているのです!

2012年1月30日月曜日

ヴィドール作品評価の難しさ

ちょっと面白いCDがありました。
ヴィドールの4曲の最初のオルガン交響曲の初稿の演奏です。

(HMV)
(国内仕様盤) (輸入盤)

具体的に書く前に、ちょっと当時のフランスのオルガン界をざっと。

バロック時代あれほど隆盛を誇っていた
フランスのオルガン音楽は、革命と共に消え去りました。
19世紀前半、オルガニストらしいオルガニストはボエリーくらいで、
あとは戦争や嵐の描写をやって喝采を受けているという状況でした。

状況が一変したのは、1850年代のパリにおける
ベルギーのオルガニスト・レメンスの演奏会です。
足鍵盤も含めたまともな演奏を耳にして、フランクをはじめ
フランスのオルガニスト達は新たな道を探り出します。
レメンスの作風を知るのにはこのオルガン・ソナタ全集などがいいでしょう。
 (HMV)

ちょっと脇道ですが、フランクを例に、いかにレメンスの
演奏会が大きな衝撃だったかを。
現在フランクの「オルガン作品全集」として
(HMV)

流布しているものは、「レメンスの演奏会以降の作品だけ」なんです。
幻想曲ハ長調は実は現行版は第3稿でして、まあ初稿も1856年ですから
「レメンス以降」なのですが、3回改訂している意味は十分わかります。
熟成させる必要性はフランク自身それだけ感じていたのでしょう。
フランクは極めて寡作家というイメージがありますが、これは誤りで、
高弟であったダンディが、スコラ・カントルムにおける
作曲の「ご神体」としてふさわしいフランクの作品を厳選し、
他の作品を見事に「なかった」ことにしてしまったのです。
最近ポツポツと「なかった」ことにされた作品も
耳にできるようになってきましたが、
オルガン作品に関して、「レメンス以前」の作品は、
ダンディの打ち立てたフランク像が
お好きな方は耳にしない方がいいです(笑)。
一応完全全集が3分巻各2SACDで出てはいますので、
紹介しておきます。
Complete Organ Works 1 Complete Organ Works 2 Complete Organ Works 3


(HMV)

(Vol.1) (Vol.2) (Vol.3)

さて、ヴィドール。実はヴィドールはレメンスの弟子です。
しかもパリ演奏会以前からベルギーに留学して学んでいました。

ヴィドールといえばオルガン交響曲第5番の「トッカータ」が有名ですが、
さて、ここで多少擁護する必要があるかな、と思いました。

ヴィドールが「オルガンソナタ」を「交響曲」と
名付けた必要性については当時からいろいろいわれていましたし、
ヴィドール自身の言葉でも今一つよくわからないのです。
ですが、上述の最初の4曲のオルガン交響曲初稿の録音で
多少見えてきたことがあります。

ベン・ヴァン・オーステンによるヴィドールオルガン作品全集録音および


(HMV)
(Vol.1) (Vol.2) (Vol.3) (Vol.4)
(Vol.5) (Vol.6) (Vol.7)


ヴィドール作品に関する書籍は極めて貴重な資料なのですが、
実はこの全集録音にも多少罠があると言いますか、
ヴィドールが改訂して省いたり付け足したりした楽章を
付録として収録しているのがかえって問題なのです。

ヴィドールはかなりの改訂魔で、上述のような
楽章の入れ替えだけでなく、既存の楽章にもかなり手を加えています。
よって、トラック操作によって仮想的に「初稿」を聴いたとしても、
実は全然別物なのです。
そして、ヴィドール作品において権威ともいえるオーステンが
そのような録音趣旨を通したためか、
「オルガン交響曲」の一つの楽章を抜き出すということも
正当化されたのかもしれません。
まあ、曲によっては5つものヴァージョンが存在する
ヴィドール作品を全部収録するというのは、
一般愛好家にとってどれほど意味があるかは不明です。
専門家ならば楽譜にアクセスすればよいだけですし。
ただ、ひとつの楽章を抜き出すという悪弊だけは問題なのです。

さて件の初稿録音、これは極めて興味深いものでした。
オーステンがすでに著作で述べていましたが、
最初の4曲の現行版は、有機的統一を図ろうとするあまりに、
初稿のもつ自然な音楽の魅力をかなり削いだものであることは事実でした。
この初稿ならば、一つの楽章を抜き出して演奏しても問題ないでしょう。
事実、これら4曲は成立過程は既存のヴィドールの単独作品を
ある程度改訂して組みなおしたものです。
ではヴィドールがこの4曲に限らず、改訂をくり返したのはなぜか?

レメンスはベルギーのオルガニストでしたので、
ドイツのレパートリーにも通じていました。
バッハ作品を結果的にフランスに伝えたのは
元をたどればレメンスに突き当たります。
レメンスの元で学んだヴィドールは、フランス人でありながら、
かなり特殊な位置にあったのです。

パリ音楽院でフランクの死後、オルガン科の教授になった
ヴィドールは、即興演奏主体の教授方法から、
解釈や演奏技術を主体とした系統だった教授方法に切り替えます。
当時フランクを慕って入学したヴィエルヌは、「敵意すら覚えた」
と回想しています。
しかし、隙の無い徹底した教授方法はやがて学生の支持を得ます。
まあ、他の教授たちは別だったようですが…。

さて、これらの事柄から見えてくること、
ヴィドールは徹底した有機的統一体としてのオルガン作品を
模索していたと考えて間違いありません。
しかし、なかなか成功したとはいえなかった。
第10番をもって「オルガン交響曲はもう作曲しない」と発表しますが、
第9番、第10番の2曲は、ヴィドールの意図した世界がほんの少し
見えるような気がします。
しかし、結局ヴィドールの意図した理想は、当初ヴィドールを敵意をもって迎えた
弟子・ヴィエルヌの、一つの旋律の要素から全曲を構成するという
究極的な6曲のオルガン交響曲を待たねばならなかったのです。

(HMV)
こうなってくると、ヴィドールの系統だった論理的教授法というのは、
自分がもし理想を果たし得なくとも、
弟子が受け継いでくれることを想定したためのように思われます。

ヴィドール作品は各曲のヴァージョンの数の多さが示す通り、
新しいジャンル開拓の軌跡そのものです。
ヴィドール作品の演奏にはヴァージョン選択の問題、
そのヴァージョンで意図されたこと、
そのヴァージョンの長所短所、すべて考慮に入れねばなりません。
少なくとも、全曲見渡すヴィジョンが不可欠です。
一つの楽章を抜き出すこと、それ自体はいいとしても、
それをもってヴィドールの作曲能力を評価するのは無理でしょう。
それらすべてと、実際の演奏能力を兼ね備えた人物が出現するまで、
評価は保留するしかないように思いました。

それと同時に、まさに生涯をかけて新しいジャンル開拓を貫き、
愛弟子によってその思想が具現化されたため、
いかにも過渡的人物と評価される悲劇…。
新しいジャンルを作り出すのにこれだけの覚悟を以て
臨んでいる作曲家は稀有だということは評価したいです。

自己紹介がてらこのブログの趣旨などを。

初めまして。とりあえず自己紹介を。アマチュア尺八吹きなのですが、大学に入って尺八を始めるまでは中学・高校では吹奏楽部に入っていました。ですのでクラシック音楽が基盤なのですが、尺八を始めたことで、世界のあらゆる民族に芸術音楽が存在するという当たり前のことにやっと気が付き、いわゆるクラシック音楽のみならず、そうした芸術音楽も聴いています。

まず、自分の経験から、日本にも明治以前に豊饒な音楽が存在し、作曲家もたくさん存在する、ということをお話ししておきましょう。たいていの方はこれにびっくりなさいます。でも人の事はいえないんですよ、私も。吹奏楽をやっていたころは「ああ、今の日本に生まれてよかった。音楽を楽しめるのだもの」などと本気で考えていたものです。

ですが、人あるところ音楽有り、なんですね。平安貴族の「遊び」とは、雅楽管弦の合奏のことでした。枕草子などを読むとわかりますが、夜を徹して合奏に夢中になることも多かったようです。音楽はやはり古今東西問わず人を引き付けるものですね。

とというわけで、最近聴いているクラシック音楽の話題や、世界の芸術音楽の話題をつらつらと書いていこうと思います。どうぞよろしくお願いします。