2019年2月4日月曜日

細川俊夫氏の「観想の種子」

「観想の種子」を久しぶりに聴いて、
昔気が付かなかった観点から捉えることができたような気がしたのでメモ。



  (Amazon) (HMV)

声明と雅楽という組み合わせだけの概要だと
邦楽になじみがないとカクテルみたいに思われるでしょうが、
そもそも声明の理論的基礎は雅楽のそれなので(少なくとも音階構造に関して)、
相性としては悪くはないのです。

当時気が付かなかった部分と言うのは、「雅楽」というあまりにも包括的なジャンル区分の中で、
国風歌舞、つまり日本固有の音楽に限定している、ということです。

ここで使われている声明は天台声明であるということも重要です。
確かに一番メジャーである、ということはありますが、
天台声明が中世の邦楽、特に細川氏の創作とのかかわりから言えば、
能楽へ与えた影響の強さ、ということを考えた場合、模索期であった80年代に
こうした取り組みを行ったことは興味深いことではあります。

西洋音楽の作曲家が取り組む場合、渡来楽が中心で、
国風歌舞はまず避けられています。
彼らも慎重ですので、理論体系が洋楽に劣らず整備されているところで仕事をするのは
誠実さの現われともいえると思いますし、当然かなと思うのです。
そして、逆に考えると、理論は存在するものの、西洋音楽的なものとあまりに異質で、
アプローチとしては極めて困難な中世以降の邦楽全般が、
あまり素材にならない理由でもあります。

これは、語弊を恐れずに言えば、
「ノヴェンバー・ステップス」と「秋庭歌一具」の完成度の違いに関わっています。
前者では、図形楽譜という形で問題を先送りすることで近世邦楽にアプローチしていますが、
結局何も解決しているわけではないですし、厳しいことを言うと逃避ですから、
やはり中世以降の邦楽を西洋音楽的創作として考える困難は明らかでしょう。

そこで改めて「観想の種子」を考えると、
成功しているかどうか、というのはともかくも、
中世以降の邦楽への構造的アプローチとしての意図は極めて明快です。
音楽を現代からの逆行で考えることが横行しているので忘れられがちですが、
構造的に把握しようとするなら順行で追うのが正攻法です。

上述したように、中世、というくくりにおいて、論理的に考察するなら、
入り口として悪くない、というよりもこれしかないでしょう。
私自身、啓示を受けた感覚があります。

細川氏はマンダラの読み解き方から形式的な構造のヒントを得た、と述べていますが、
音楽的アプローチに関しては慎重な言い回しです。
そもそもマンダラの概念は、雅楽の音楽思想と共通する部分が大きいので、
国風歌舞の一具のような構成になるのは正攻法でもあります。

「中世のヨーロッパの作曲家が、グレゴリオ聖歌を基礎として、
ミサ曲やモテットを書いた態度に似ている。」

ここでの趣旨から外れるので、古楽的には突っ込みませんが、
言いたいことはわかるのでここに引用します。

総合的に考えると、ここに現出しているのは「今様」です。
梁塵秘抄には、今様の音楽理論および楽譜もあり、
岩波の文庫でもきちんと翻刻されているので、邦楽関係者以外には貴重だと思いますが、
実のところ、今様の理論考察はさっぱり進んでいません。
なぜなのか、というと、実はこれがポイントかも知れないのですが、
当時の同好の仲間が理解できれば十分だったからだと思います。
有体に言えば、現代人にはわかりません。
雅楽、というジャンル区分は本当に包括的過ぎるのですよ。

敦煌の楽譜を元に芝祐靖氏が復元を試みたりしていますが、あれは中国の音楽、
雅楽的区分で言えば、理論整備の万全な渡来楽だからです。
それでも、当時そのまま、とはいかないですが、
西洋音楽で中世の音楽を演奏する程度には可能です。
今様は、国風歌舞で最新ジャンルですし、そもそも流行であって
残す必要はなかった、ということがあります。
梁塵秘抄は、当時意味があればそれで十分だったのでしょう。

では、「観想の種子」が今様というのはどういうことだ?となるかもしれませんが、
要するに当世風最新の国風歌舞、という本来の意味です。
雅楽からフィードバックして得られたもので創作を行うというのでもなく、
新たなアプローチで伝統から乖離する、というのでもない。
そう、国風歌舞を現代において創作したのですよ、文字通り。
ですから、まさに「今様」なのです。
これは上記引用の文脈とも一致しますので、
それほど大きくかけ離れた見方ではないと思います。

「リアの物語」に到る過程において、細川氏は確かに何かの課題意識があり、
それは今考えると、なるほど、となる部分があります。
当時には、こうした見方は出来なかったです。