2012年10月20日土曜日

主観的好みと客観的評価

「これは名曲だから好きだ」とか、
「これは有名じゃないから嫌い」とか、
そういう人は少ないと思います。
昔はともかく、今は音盤が廉価になり、
自分の好みの作品をみつける、という楽しみがあります。

ただ、私は、自分自身の主観的な好みと
客観的な評価は自分の中でも区別しています。
たとえば、J.S.バッハの偉大さには全く異論ありませんが、
実際に聴く機会が多いのは、エマヌエル・バッハだったりします。
これはもう、自分の好みですからしかたないのですが、
親父さんの作品は、情報量が多すぎて、気楽に聴くことができないんです。
ある程度、「覚悟」をもって臨まないと、情報量に埋もれて
溺れ死ぬような感覚になってしまうんです。
エマヌエルの場合は、「びっくり箱」みたいな部分はあるにせよ、
いや、だからこそ無心に聴くことができるんです。
あくまで私の場合はそうだということで、
皆がそうではないことはきちんとわかっています。

さて、そんな自分の好みの作曲家の好みの作品、
たとえばこんなものがあります。

ライネッケ:管楽三重奏曲集



(Amazon) (HMV)

ええ、わかっています。ライネッケが一流の
作曲家なんていうつもりは毛頭ありません。
しかし、少なくとも管楽器奏者にとって、
ライネッケという名前は特別なものではあります。
とくにフルート奏者でライネッケのフルートソナタや
協奏曲を吹かない人はいないでしょう。

ライネッケの一流になりきれない点というのは
メンデルスゾーンが彼に宛てた手紙にて鋭く指摘されています。

「第1楽章が非常に魅力的な曲が多いが、最後までそれを持続しなさい」

このCDの3作品は晩年のもののためか、
その弱点はかなり克服されていますが、
ライネッケ作品全体としての弱点は、
まさにメンデルスゾーンの言うとおりかと思います。

私とライネッケの出会いは小学生のころ、
とにかく短調の作品を片っ端から
エアチェック(FM放送の録音)していたころです。
そう、フルートソナタホ短調「ウンディーネ」。
そんな有名曲と知る由も無く、
そうした無差別録音の網にかかった作品で、
私はライネッケという名前を忘れることが出来なくなりました。

まあ、上述のとおり、有名か無名か、そんなこともわからず、
ただひたすらに無差別に聴いていたことはよかったと思います。
権威がなんと言おうと、自分の好きなものは好きなままでいられる、
そんな姿勢が養われました。

このCDの3作品は、いずれも
ライネッケの室内楽作品では重要な作品です。
古楽と現代音楽以外同曲異演は極力買わない私ですが、
これらの作品は目に付く限り買って来ました。
そして、やっと出会えた演奏であるといえます。
モダン楽器演奏ではおそらくこれ以上の演奏は望めないでしょう。

名曲が名曲たる所以は、作品と同等の集中力を要求することです。
私には、名曲ばかり毎日聴くだけの集中力はありません。
そうしたとき、こうした「よき二流作品」は私を元気にしてくれます。
いろいろな作品があるからこそ、幸せなのだと思います。